三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「僕の帰る場所」

2018年11月20日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「僕の帰る場所」を観た。
 https://passage-of-life.com/

 子供たちの演技は驚くほど上手である。それもそのはずで、父親以外は実際のビルマ人の母子が演じている。上映後の舞台挨拶でそう話していた。当時7歳のお兄ちゃんはそれなりに演技をしていたが、当時3歳の弟は気持ちのままに声を出したり動いたりしていたそうだ。自然な演技は当然である。
 作品は担々としたストーリーだが、頼るあてもない異国の地で身分の保証もなくその日暮らしを続ける心細さが伝わってくる。かといって故国に帰っても仕事はなく、生活の目処が立たない。軍事政権からアウンサンスーチーに権力が移っても、庶民の生活が改善されるまでにはまだまだ時間がかかるのだ。
 そもそも子供たちと豊かに暮らすために世界3位の経済大国に来たのだ。みんなを連れてきた夫としては、帰る選択肢は考えにくい。ビルマで培ってきたそれなりの技術はある。難民認定が受けられれば単純労働ではない職に就くことができる。そう考えてひたすら我慢の日々を送るが、入国管理局はなかなか認定してくれない。
 入国管理局の役人も公務員である。憲法第15条第2項の規定のとおり、すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない。しかし、ほとんどの役人は自分が国民のために尽力する下僕であることを忘れて、法律の番人だと誤解している。だから番犬が吠えるみたいに、窓口に来た人々に吠える。そういえば先ごろ五輪担当相に選ばれた大臣は「選んでくれた総理大臣のために任務を果たす」と言っていた。大臣が特別公務員であることも知らないのだろう。
 働き方改革では、労働者の権利を守る労働基準法の徹底を図ろうとする労働基準局は何も動かなかった。そして今回の出入国管理法の変更は、犯罪者が入ってくるのを防ごうとする入国管理局の役割と真っ向から対立するはずだが、入国管理局は何も発言しない。
 役人も政治家も公務員である。たしかに権力は政治家に集中しているが、その権力は国民から信託されたものだ。だから一般の公務員も特別公務員に対して物が言えるはずだが、役人は皆、権力を背負った政治家の前に出ると、飼い犬のように尻尾を振るだけである。少しは役人としての矜持を見せたらどうなのだろうか。
 悪意のある政治家と、唯々諾々と従うだけの役人たちのおかげで、日本ではこれからも外国人労働者は低賃金の繰り返し単純労働に従事させられ、資本主義らしい酷薄な搾取をされ続けるだろう。そういう扱いが外国人労働者だけでなく、日本人の99パーセントにまで広がるのはそう遠い先のことではない。


映画「華氏119」

2018年11月20日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「華氏119」を観た。
 https://gaga.ne.jp/kashi119/

 本作品はイラク戦争を仕掛けたブッシュ政権を激しく批判した「華氏911」とは少しニュアンスが異なっている。必ずしも現政権の批判ばかりではないのだ。リベラルと期待されたオバマでさえ、圧力団体に屈して少数者を弾圧している。何故か。
 アメリカは個人の自由と尊厳を謳う憲法を持ちながら、一方では大量破壊兵器を所持しているというジレンマの中にいる。世界の歴史は戦争の歴史である。武器を放棄すれば、戦争には勝てない。しかし武器は個人の生命や自由を脅かす。
 人類に悪意が存在しなければ、武器は必要ない。悪意に対抗するために武器が必要なのだという主張は、一見正しいように見える。しかし合衆国大統領が就任式で誓う聖書には、そんなふうには書かれていない。右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、上着を奪う者には下着も与えよとある。ハンムラビ法典のように暴力に暴力で応えることは、いつまでも負の連鎖を生み、人間は自由にも平和にもなることが出来ないのだ。
 アメリカは日本よりもずっと複雑な利権の国である。エディ・マーフィが政治家になる映画「ホワイトハウス狂騒曲」の中で、議員になったエディ・マーフィが、この政策に賛成すればこの団体から献金がもらえる、反対すればこちらの団体から献金がもらえるというブリーフィングを受けるシーンがある。政治家になった途端に誰かの利益のために働くことになることは避けられない。肝腎なのは誰のために働くかというポリシーである。政治家は常に選択し続けなければならない。世界から核兵器をなくそうとした筈のオバマは、どこで選択を変えたのだろうか。
 アメリカの憲法はいざ知らず、日本国憲法第15条第2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と書かれてある。こんなことは書かなくてもわかりそうなものだが、公務員が国家権力を執行する役割を担っている以上、贈賄その他の利益供与を受ければ、必ずしも国民のためにならなくても、特定の誰かのために権力を濫用しかねないことの戒めである。権力は必ず腐敗するのだ。
 政治家は選挙で選ばれた特別公務員だ。誰のために働かなければならないかは、憲法を読んだことがある人なら誰でも知っている。尤も、日本をトリモロスと叫ぶ暗愚の宰相は一文字も読んだことがないだろうから、知らない可能性が高い。
 あまり大げさに取り上げられてはいないが、日本でも水道の民営化や種子法の廃止など、国民の生活に直接関わって、場合によっては身体や生命を危険に晒す恐れさえある政策が既に実施されている。日本は長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰という精神性だから、「お上のやること」に唯々諾々と従ってしまうところがある。
 選挙にも行かず声も上げないでいると、利権を貪ろうとする悪意の人々に国が蹂躙されることになるのは自明の理だが、かといってアメリカのように高校生の演説に熱狂する姿もまた、ハイル・ヒトラーと右手を挙げるナチスの姿を彷彿とさせて気持ちが悪い。同調圧力というのは、それがどちらの方向を向いても全体主義につながるのだ。


劇団☆新感線「メタルマクベス」

2018年11月20日 | 映画・舞台・コンサート

  豊洲にあるIHIステージアラウンドで劇団☆新感線の「メタルマクベス」を観てきた。
 円形の劇場で、周囲がステージ、客席が回転するという新しい形式の演劇である。主演は浦井健治と長澤まさみ。その大勢の出演者が主にヘヴィメタルの音楽で歌ったり踊ったりする。基になっているのはシェイクスピアの「マクベス」ではあるが、ストーリーはそれほど重視されず、歌と踊りと音楽を楽しむのが主である。笑わせるような台詞や表情もあり、20分の休憩を挟んで4時間の長丁場であったが、飽きずに楽しむことが出来た。終わったときはこちらも疲れたくらいだから、出演者はとてつもない体力の持ち主たちである。ラサール石井を除けば若い人ばかりだったのも頷ける。
 この劇場はとても面白いので、ミュージカルもいいが、喜劇や悲劇を演じれば、群像劇が暗転なしに観られそうである。今後の展開が少し楽しみだ。