三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「スマホを落としただけなのに」

2018年11月05日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「スマホを落としただけなのに」を観た。
 http://www.sumaho-otoshita.jp/index.html

 友人、知人、親戚、家族、勤務先、取引先で、スマホを持っていない人を知らない。電車に乗ればかなりの割合の人が一心不乱にスマホを操作している。どんな満員電車でもお構いなしだ。もちろん当方も他人のことは言えない。行き先の駅周辺の地図を確認したり、昼食の店を探したり、知らない言葉の意味を調べたりする。映画やコンサート、レストランの予約もすれば、買い物もする。
 この映画を見る前日に「Searching」を観て、失踪した娘を探す父親のリテラシーの高さ、マシンスペックの高さ、通信速度の速さに感心した。パソコンでもスマホでもあれほどの速さがあれば、もう少し楽ちんなのにと思った。同時にSNSが必ずしもその人の本当の姿ではないという見方を示していることにも感心した。
 本作品はスマホが持ち主の分身みたいになってしまっている現実に警鐘を鳴らすかのようで、SNSやログ履歴、端末やクラウドにアップした画像や動画などから、本来は隠しておかなければならない情報が、悪意のある、リテラシーの高い人間によって悪用される様子を描いている。大げさな台詞や極端な場面が少なく、とてもリアルである。
 ラストシーンは評価の分かれるところだが、スマホを落としたことで招いたピンチを、最後はスマホが救ってくれるというストーリーはよく出来ていて、面白く鑑賞できたと思う。
 考えてみれば、スマホに依存しているつもりはなくても、例えば覚えている電話番号がひとつもなかったり、名刺は全部クラウドにアップしていたりして、スマホがないと仕事ができない場面はいくつも考えつく。ある意味で身につまされる映画でもあった。


芝居「修道女たち」

2018年11月05日 | 映画・舞台・コンサート

 下北沢の本多劇場で芝居「修道女たち」を観た。
 http://cubeinc.co.jp/stage/info/shudouzyotati.html

 下北沢はかなり久しぶりで、昔は駅を中心としてあちらこちらに商店が広がっていた印象だったのが、現在は工事中の駅のおかげで、なんとなく立体的でわかりにくい街になった感じである。RPGのダンジョンみたいで、いつか攻略してみたい気もする。
 さて芝居は15分の休憩を含めて3時間15分の長丁場である。修道女が6人と、村娘、雑用係みたいな人と保安官などが登場する。修道女たちはとても敬虔で、敬虔であるが故のバカバカしさやシュールさがあって、かなり笑える。
 マタイの福音書でイエス・キリストが最初に群衆に向かって言った言葉は「悔い改めよ、天国は近づいた」である。バプテスマのヨハネが唱えたと同じ台詞だ。そして本劇で修道女たちが口癖にするのは「悔い改めなさい」である。アーメンの代わりがギッチョラだ。
 自分たちではどうにもならない大きな力が働いたとき、修道女たちは兎に角祈る。祈るというのは自分以外の何かの力に期待することである。リアリストではないのだ。だから現実的な解決策を模索するのではなく、一発逆転の奇跡を試すことになる。その姿がなんとも滑稽で、なんとも悲しい。