三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「いのちの停車場」

2021年05月25日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「いのちの停車場」を観た。
 吉永小百合さんはいつも通りの可愛らしい演技だが、広瀬すずは一作ごとに上手くなっていて、本作品では吉永さんを凌ぐような場面が度々あった。悲しい過去を抱えつつも元気一杯に振る舞う芯の強い看護婦を好演。松坂桃李が演じた野呂は、金銭的に恵まれた家庭に育つが、医師の国家資格試験に失敗し、失意のうちに医療事務員として大病院に勤める。その大病院は事務長が患者よりも病院を守ることが大事と言い放つ営利主義である。この大病院のスクエアな人々と戦う一方で患者とのふれあいを描くドラマなのかなと思いきや、舞台は一転して石川県の金沢へ。
 成島出監督は「八日目の蝉」「山本五十六」「ソロモンの偽証」「ちょっと今から仕事やめてくる」など好きな作品が多いが、吉永小百合さんを主演に迎えた「ふしぎな岬の物語」はいまひとつピンとこなかった。脚本の不出来もあったが、どうも演出が吉永さんに遠慮しているみたいだった。
 本作品も同じように、吉永さんに遠慮しているみたいな作品で、主人公白石咲和子の不幸はステレオタイプである。もっと悲惨な、陰惨な目に遭わせてもよかった気がする。理不尽な暴力を振るわれるとか、金がなくて食べ物に困るとか、見るに忍びないような大怪我をするとか、主人公を極限状況に追い込む場面があれば、作品に少しは緊張感が出ただろう。
 加えて、主人公に隙がなさすぎる。精神的に安定しすぎているのだ。物語の内容からして咲和子は50歳くらいの設定だと思うが、まだ女としても枯れていないだろうし、自分勝手なシーンもあってよかった。泣いても喚いてもよかっただろう。成島出監督と吉永小百合さんは相性が悪いのかもしれない。
 患者と向き合うシーンも底が浅い。同じ在宅医療を扱った映画「痛くない死に方」の生々しさが印象に残っているだけに、本作品の患者の苦しみ方は弱すぎる。いろいろな患者の在宅ケアのシーンは写真を並べたみたいに平板だった。
 輝いたシーンはふたつ。ひとつは病院の廊下で咲和子が西田敏行演じる仙川院長に抱きついて、泣きながら「先生、わたし・・・」と言うシーンである。この「先生、わたし・・・」の台詞は万感の思いがこもっていて滅法よかった。もうひとつは松坂桃李の野呂がパンイチで海に入るシーンで、野呂の優しさが弾けていた。
 本作品の目論見は、怪我や病気で死んでいく人の群像劇に、主人公が抱える安楽死の問題、病院経営の問題や最新医療と金銭の問題を並行させて盛り上げて行くつもりだったのかもしれない。しかし盛り込みすぎてテーマが散らかったままになってしまった。これでは物語が盛り上がるのは難しい。
 ただ、四季を通じて様々な顔を見せる金沢の町のシーンは殊の外美しく、本作品を観たら金沢に行きたくなることだけは確かである。