三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「偶然と想像」

2021年12月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「偶然と想像」を観た。
 
 濱口竜介監督、脚本による三部作である。いずれも女性の愛と性をテーマにした人間関係を描く。仏教用語で言えば「縁起」の本質に迫ろうとした作品とも考えられる。仏教の「縁起」は原因と条件の関係性を主要概念とするからだ。
 
 第一部は二十代、第三部は四十代の年齢の女性が主人公である。第二部だけは年齢が不確かだが、およそ三十歳前後と思われる。時代設定は現代ないし近未来だ。観客は身構えずに鑑賞できると思う。
 
 古川琴音が演じた二十代は、幼児が自分の存在を主張するように自己肯定感で一杯だ。子供は仕方がないが、大人になってもそういう人は、周囲から見ると鬱陶しい存在である。他人の場所や心の中に、文字通り土足で踏み込んでくる。中島歩の台詞にあったように、ほとんどストーカーだ。他人の価値や権利を認めず、自分との比較で上か下かだけを唯一の価値観とする。常に他人と勝負しているようなもので、本質的に共生はできなタイプである。精神医学で言えば、アベシンゾーと同じ自己愛性人格障害だ。救いがない。
 友人を演じた玄里の台詞回しがびっくりするほど上手かった。古川琴音よりも10歳上の分だけ演技に幅がある。34歳だが二十代の役もまだまだこなせる。注目女優のひとりに加えることにした。
 
 森郁月が演じた推定三十代は、二十代とは逆に自己肯定感の低い役で、自尊感情の強い人に負けて言うことを聞いてしまう傾向にある。不良の手下、いじめっ子の取り巻き、それにブラック企業の社員などが同じ傾向を持つ。どこかで自分を肯定したいが、壁に跳ね返されるばかりで、自分はこんなものだ、こんな人生なんだと諦める。
 芸達者の渋川清彦に棒読みの台詞を読ませたのは、本を読んでいるかのように森郁月に聞こえさせたかったためだと思う。わかりにくいが、森郁月が教授に会いに行ったのは、もしかしたら教授から自己肯定感が与えられるかもしれないという無意識の淡い期待があったためだとも考えられる。そこに必要なのは説法であって、感情ではない。渋川清彦が無感情で話すことに意味があった。
 
 占部房子が演じた四十代は、精神的に安定していてホッとする。とはいえ、心の中では自己肯定と自己否定の相克が常にあり、何かにつけ心を揺さぶられている。相手役の河井青葉が演じる主婦は、心が動かない生活を嘆く。日常にドキドキすることもワクワクすることもないと言うのだ。そこに現れた見知らぬ女が、何か異質なものを持ち込もうとしている。物的には何も変わらないが、精神的には大きく心を揺さぶられる。それが嬉しい。
 占部房子と河井青葉。いずれも四十代の女優で落ち着きがある。演じたふたりのそれぞれの心の中では理想と現実、希望と絶望、執着と諦観といった割り切れなさがあるのだろうが、生きていくことには前向きだ。このふたりの芝居は演技も自然で、いつまでも観ていられる気がした。
 
 本作品は脚本も演出もとてもいいし、役者陣の演技も素晴らしく、たくさんのシーンが心に残った。名作の予感がする。

こまつ座公演「雪やこんこん」

2021年12月24日 | 映画・舞台・コンサート
 新宿の紀伊國屋サザンシアターでこまつ座公演「雪やこんこん」を観た。こまつ座は井上ひさしの戯曲を上演している劇団で、これまでも何度も観ている。

演出:鵜山仁
出演:熊谷真実 大滝寛 藤井隆 小椋毅 前島亜美 村上佳 安久津みなみ まいど豊 真飛聖

 鵜山仁さんの演出はこまつ座ではおなじみである。井上ひさしの人間愛に溢れた戯曲を人情噺に仕立て上げるのが得意だ。本芝居はその典型で、登場人物がドサ回りの一座とあっては、セリフ回しにも磨きがかかる。
 熊谷真実は還暦を過ぎたと思えないほど元気一杯で、主役の座長中村梅子役を存分に演じあげた。マイク無しの肉声の舞台なので、役者の発声が遠くまで響かなければならない。その点、熊谷真実は舞台で鍛えられただけあって、後ろの方の席に座っていた当方にも、その声が強く響いてきた。真飛聖も宝塚仕込みの発声のよさでセリフがちゃんと聞こえた。
 藤井隆の声だけが少し残念で、遠くまで響いてこない。昔渋谷にあったジャンジャンみたいな小劇場だったらよかったかもしれないが、潰れてしまった。

 役者の頬や額にマイクが付いているのは興醒めだ。本劇場や、紀伊國屋ホールくらいの大きさが肉声の限界だろう。そういえば同じこまつ座の「マンザナ、わが町」で土居裕子さんの美しい肉声の歌声を聞いたのを思い出す。もう一度聞きたい。

 本作品は旅芸人の一座がたどり着いた雪の多い町で、旅館と芝居小屋を経営する女将と座長の中村梅子の丁々発止の騙し合いがメインである。互いの本気度を探るためには仲間から騙したような芝居を打つ。だから芝居がかったセリフばかりである。そのリズムが見事で引き込まれる。国定忠治の名セリフを真似したくなる。
 なんだかワクワクしっぱなしの舞台であった。熊谷真実と真飛聖と頑張った藤井隆に拍手。

映画「マトリックス レザレクションズ」

2021年12月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「マトリックス レザレクションズ」を観た。
 
 生憎「マトリックス」シリーズは観たことがなかったので、本作品を観ても何のことかよくわからなかった。いや、チンプンカンプンだったと言う方が正しいかもしれない。
 
 マトリックスという言葉そのものは、何かを分類するのによく使う。たとえば日本酒だ。濃醇と淡麗、辛口と甘口で4種類に分かれる。ある日本酒がどのあたりになるのか、十字を書いて説明すると解りやすい。
 
 しかし本作品で使われている「マトリックス」は主人公トマス・アンダーソンの台詞では彼が作ったゲームの名前らしい。現実と仮想現実を行き来できるゲームだとか。機械と薬物を使うというところから、つまり世界は脳の働きによって認識されているだけであって、その認識こそが世界なのだということになる。唯心論の世界観に近い。
 
 あるシーンが誰かの精神世界で、次のシーンが誰かの精神世界でとなっていき、それが連続すると、元の位置はどこなのかが解らなくなる。迷路をさまよっているようで、現在地もゴールも不明だ。結局何を見せられているのか解らないまま終わってしまった。逃走シーンや格闘シーンのCGはよく出来ていたが、それだけであった。