三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版」

2022年06月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版」を観た。

 とてつもなく重い作品だった。180分という長さもさることながら、登場する兵士たちが命の危険にさらされながら、常に最前線で戦い続ける緊張感に、観ているこちらまで疲れ果ててしまう。
 国内外の戦争の記録を分析している作家の保阪正康さんによると、戦場に行ったことのある軍人は、なるべく戦争を避ける傾向にあるそうだ。そういう軍人にとって軍事力はどこまでも抑止力でなければならない。実際に戦争に向かおうとするのは戦争体験のない人間ばかりだ。
 役所広司が主演した映画「山本五十六」では、日露戦争の日本海海戦に参加した経歴のある山本五十六は、戦勝よりも講和第一を何度も口にしていた。ヒロシマ・ナガサキの被爆者や沖縄戦で生き残った人々は、言うまでもなくみんな戦争反対である。

 そして本作品に登場する兵士の多くも、やはり戦争反対である。兵士は殺人マニアでもシリアルキラーでもない。ソ連の国民を憎んでいる訳でもヒトラーと同盟したい訳でもなく、人を殺したい訳でもない。ただ命令された場所に行く。そして戦闘になる。殺されたくないから敵を殺す。
 兵士にとっても民間人にとっても戦争は理不尽だ。国際紛争を解決するために戦争という手段を取ることそのものが理不尽なのである。

 家族間で揉めたら殺し合うだろうか。もちろんそういう事件もある。しかし大抵は互いに相手の権利を認め、話し合って妥協点を探す。国際紛争でもおなじだ。相手国の権利を認めて話し合う。
 話し合いができない暴力的な国がいたらどうする?というのが国家主義者たちの論理だ。しかし国の構成員は個人である。大抵の個人は殺し合いより話し合いを選ぶ。それが国家になるといきなり戦争に飛躍するのはおかしい。戦争したい人間が政治を決めているからに違いない。
 戦争したくない人間を政治家に選べば、当然ながら戦争は減る。この自明の理がわからない人が世界中にたくさんいる。他国が攻めてくると考えるのは、現代ではほぼ被害妄想である。
 戦争は、頭の悪いヤクザみたいな政治家が、国民に被害妄想を植え付けることからはじまる。自分の権力維持のためである。外敵を想定すれば国民は一致団結すると思っているのだ。人間は弱いから、被害妄想に抵抗できない。そして国には軍事力が必要だと考える。軍事力のエスカレーションは戦争への一本道だ。
 しかし話し合いに軍事力はいらないという当然のことに世界中の人間が気づけば、戦争でたくさんの人が死なずにすむ。非軍事化の道にこそ人類の未来はあるのだが、現実はその逆の道に進んでいる。人類はよほど早く絶滅したいようだ。

映画「ナワリヌイ」

2022年06月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ナワリヌイ」を観た。
ナワリヌイ オフィシャルサイト|6月17日(金)、新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか緊急ロードショー!

ナワリヌイ オフィシャルサイト|6月17日(金)、新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか緊急ロードショー!

「ロシア反体制派のカリスマ」を襲った衝撃の毒殺未遂事件。奇跡的に一命を取り留めた男は自らの手でその真相を暴き出す

ナワリヌイ オフィシャルサイト

 ロバート・ラドラムやトム・クランシーのスパイ小説を読むと、ソ連は恐ろしい国だったというイメージである。KGBやGRUがどれほど容赦のない暴力的な組織であったかが事細かに描かれていて、西側のスパイに協力するソ連の小役人の恐怖の日々を我がことのように感じた。
 しかしソ連崩壊後のロシアは、ゴルバチョフによる情報公開や自由化の流れで、規則でがんじがらめの社会主義国から、金儲け優先のギャング国家になったように感じた。ロシア人女性は若い頃はとても美しくて、国際結婚をした日本人男性が知り合いに何人かいた。恐ろしいソビエト連邦が開発途上国ロシアに変わった感じだった。

 ところが元スパイであるプーチンのせいで、ロシアが再びソ連に戻りつつある。せっかくゴルバチョフが民主化への道筋を引いたのに、陰謀論者が国を牛耳ると、こんなふうに疑心暗鬼の国に逆戻りしてしまうのかと、再びスパイ小説で味わった恐怖が蘇る。
 その恐怖をものともしないナワリヌイ氏とその家族の精神的な強さには恐れ入った。プーチンは役人や警察官に一定の権限を与える。それは役人や警察官にとって国家権力の行使そのものである。無防備の国民を弾圧しても罰せられないとわかれば、人間はどこまでも残虐になれるのだ。

 日本国民の我々が注意しなければならないのは、プーチンと親しいアベシンゾーは、プーチンと同じ精神性の持ち主だということだ。「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と言ったのは脳足りんのお調子者の発言だとばかりは決めつけられない。ふたりとも国家主義者だし、不勉強な陰謀論者である。
 何より恐ろしいのは、国会で100回以上も嘘を吐いた男が、未だに逮捕もされず、それどころか現政権に意見まで言っている状況と、それを許している国民だ。アベシンゾーとその一派がプーチンのような恐怖政治の実現を望んでいるのは間違いない。それが「同じ未来」だ。マスコミと検察を操作して圧力をかける。頭を押さえつけられたNHKは、いまや大本営発表に堕してしまった。

 ひとたび国家主義に捉えられてしまうと、指導層にいる人間たちは全能感に酔いしれる。部活の後輩みたいに何でも言うことを聞かせられると勘違いする。だから言うことを聞かない人間がいると激怒する。
 しかし部活に入るのは、学校生活を充実させるためだったはずだ。部活のために学校生活を台無しにしたのでは、本末転倒である。国と国民の関係も同じで、国民のために国があるのであって、国のために国民があるのではない。国民は部活の後輩ではないし、政治家は先輩でもない。
 日本国憲法に書いてある通り、政治家を含む公務員は、指導者ではなく奉仕者である。それを勘違いするとプーチンみたいな化け物が生まれる。そして世界はいま、確実に化け物が増えつつある。個人が自由と権利のために戦い続けなければ、あっという間に前世紀に逆戻りだ。本作品はその警告でもあるように思えた。