映画「水は海に向かって流れる」を観た。
広瀬すずが出演した映画を鑑賞したのは「海街diary」から数えて、本作品で10本目になる。演技は最初から上手で、台詞回しも間の取り方も表情もとてもいい。
ただ不自由な精神性の役柄が多かったように思う。そのせいなのか、演じる役には感情移入しにくい面がある。ただ「流浪の月」だけは、とてもニュートラルな役柄で、素直に感情移入できた。
本作品は不自由な方の部類で、不倫は悪だというパラダイムに縛られている。加えて被害者意識。不機嫌な榊千紗の出来上がりだ。女子高生に「自分の恋がうまくいかないことを他人のせいにするな」と言って後で反省するが、自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにしているのは千紗自身である。論理破綻している榊さんには、疲れこそすれ、感情移入はあり得ない。
千紗の不幸は自己矛盾にある。そしてそのことを作品自身が認識しているフシがある。それが、生瀬勝久が演じた教授の「いつまで16歳のままでいるつもりだ」という台詞だ。本作品には仕掛けがあるのだ。
食べるシーンが多いのがいい。食べることは生きることだ。人生は幸せと不幸せのまだら模様である。美味しいものを食べる時間は、人生の幸せの時間だ。ポトラッチ丼の命名は秀逸。
前田哲監督は、榊千紗を本質的に綺麗で可憐で素直な女性として撮りたかったのだと思う。お腹が空いたら食べる。人が恋しいなら逢いに行く。水は高いところから低いところに流れる。それが自然だ。流れに逆らって生きるのは不自然で、苦しい。にもかかわらず榊千紗は流れに逆らい、ときに溺れそうになりながら、意地を張って泳ぎ続けるような人生を送っている。
被害者意識を捨て、確執を捨て、心を自由に解き放ってほしい。人生を楽しんでほしい。感情移入はできないものの、いつの間にか榊千紗を応援していることに気づき、本作品の仕掛けの巧妙さに感心した。広瀬すずの演技は今回も見事である。
不自由な精神性にとらわれて苦労している榊千紗が、不自由から解放される予感を残してのラストには、映画ならではの余韻がある。「バッカじゃないの」という台詞は、千紗がこれまでの自分に言い放っているようだった。