三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「水は海に向かって流れる」

2023年06月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「水は海に向かって流れる」を観た。
映画『水は海に向かって流れる』公式サイト

映画『水は海に向かって流れる』公式サイト

大ヒット公開中 TOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開。出演:広瀬すず 監督:前田哲『そして、バトンは渡された』原作:田島列島「水は海に向かって流れる」(講談社「少年マ...

 広瀬すずが出演した映画を鑑賞したのは「海街diary」から数えて、本作品で10本目になる。演技は最初から上手で、台詞回しも間の取り方も表情もとてもいい。
 ただ不自由な精神性の役柄が多かったように思う。そのせいなのか、演じる役には感情移入しにくい面がある。ただ「流浪の月」だけは、とてもニュートラルな役柄で、素直に感情移入できた。

 本作品は不自由な方の部類で、不倫は悪だというパラダイムに縛られている。加えて被害者意識。不機嫌な榊千紗の出来上がりだ。女子高生に「自分の恋がうまくいかないことを他人のせいにするな」と言って後で反省するが、自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにしているのは千紗自身である。論理破綻している榊さんには、疲れこそすれ、感情移入はあり得ない。
 千紗の不幸は自己矛盾にある。そしてそのことを作品自身が認識しているフシがある。それが、生瀬勝久が演じた教授の「いつまで16歳のままでいるつもりだ」という台詞だ。本作品には仕掛けがあるのだ。

 食べるシーンが多いのがいい。食べることは生きることだ。人生は幸せと不幸せのまだら模様である。美味しいものを食べる時間は、人生の幸せの時間だ。ポトラッチ丼の命名は秀逸。
 前田哲監督は、榊千紗を本質的に綺麗で可憐で素直な女性として撮りたかったのだと思う。お腹が空いたら食べる。人が恋しいなら逢いに行く。水は高いところから低いところに流れる。それが自然だ。流れに逆らって生きるのは不自然で、苦しい。にもかかわらず榊千紗は流れに逆らい、ときに溺れそうになりながら、意地を張って泳ぎ続けるような人生を送っている。
 被害者意識を捨て、確執を捨て、心を自由に解き放ってほしい。人生を楽しんでほしい。感情移入はできないものの、いつの間にか榊千紗を応援していることに気づき、本作品の仕掛けの巧妙さに感心した。広瀬すずの演技は今回も見事である。

 不自由な精神性にとらわれて苦労している榊千紗が、不自由から解放される予感を残してのラストには、映画ならではの余韻がある。「バッカじゃないの」という台詞は、千紗がこれまでの自分に言い放っているようだった。

映画「Le petit Nicolas: Qu'est-ce qu'on attend pour être heureux ?」(邦題「プチ・ニコラ パリがくれた幸せ」)

2023年06月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Le petit Nicolas: Qu'est-ce qu'on attend pour être heureux ?」(邦題「プチ・ニコラ パリがくれた幸せ」)を観た。
映画『プチ・二コラ パリがくれた幸せ』公式サイト

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6月9日公開!『プチ・二コラ パリがくれた幸せ』公式サイト。フランスで50年以上愛される児童書「プチ・二コラ」初のアニメ映画化。アヌシー国際アニメーション映画祭最高賞...

映画『プチ・二コラ パリがくれた幸せ』公式サイト

 プチ・ニコラのネーミングを決める冒頭のカフェでのふたりのやり取りは、物語の誕生の瞬間の醍醐味があって、とても気持ちがいい。「プチ」はニコラ少年とか幼いニコラの意味合いだろうが、本作品ではもうひとつの意味を持つことになる。

 プチ・ニコラの愉快なエピソードとは裏腹に、作者ふたりの不遇な子供時代と人生の悲哀が語られる。暴力的で愛情の薄い母親、ナチに蹂躙されたパリで家族を襲った悲劇。戦争はふたりに悲痛な記憶をもたらす。現実の記憶が哀しいから、楽しい話を作り出せたのかもしれない。

 ニコラ少年にとっては毎日が冒険だ。退屈に倦む時間もあるが、人間関係に戦略を立てて、なんとか自分の望みが叶うように、子供ならではの深謀遠慮をめぐらすところがとても面白い。ふたりの作者たちにとっても、楽しい作業であっただろう。悲しい思い出に浸って立ち止まるのではなく、物語を生み出して前に進むのだ。

 芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の句の味わいに似ていて、人生の機微を感じ取ることが出来る。秀作だと思う。

映画「逃げきれた夢」

2023年06月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「逃げきれた夢」を観た。
映画『逃げきれた夢』公式サイト

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6月9日(金)新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラムほかロードショー。2019フィルメックス新人監督賞 グランプリ受賞作品

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 教師の定年は今年(2023年)から段階的に引き上げられるが、映画の時点では60歳である。娘があと一年で定年だと言っていたから、主人公の末永は推定59歳だ。ほぼ還暦である。
 本作品は、人生を力強く肯定するとまではいかないが、人生をそれなりに肯定する。光石研が還暦男の悲哀と諦観を上手く醸し出している。筒井真理子主演の映画「波紋」でも普通の夫を上手に演じていて、こういうタイプの役に欠かせない俳優となった感がある。

 言葉は言霊などと呼ばれることがある。言われた方は憶えているが、言った方は憶えていないことはよくある話だ。誰でも中学や高校の間に教師に言われた言葉の中に、いまでも憶えている言葉があると思う。言霊は言われた方にとっての話だ。

 子供の頃は本音だけで生きている。しかし歳を取れば取るほど、本当のことが言えなくなる。思っていることよりも、自分が何を言うべきかを優先してしまうのだ。家族に対しても同じである。いや、家族に対しては尚更、本当のことが言えない。
 しかし本作品の末永は、とうとう本音を洩らす。還暦になってもいまだに人生に迷っている情けない自分をさらけ出すのだ。その姿が、とても立派に見えたのは当方だけではないと思う。坂井真紀が演じた妻が「あなたって、こんな人だったっけ?」と驚くのは無理もない。思春期に自意識が増大して以降、本当のことなど言ったことがなかったのだ。

 吉本実憂が演じた教え子の平賀との会話は、妙にスリリングだ。秘めた駆け引きもないことはないが、それよりも開けっぴろげに本音を言い合う爽快さがある。別れの言葉もなしに去っていく末永の背中に、何か吹っ切れたものを感じた。

 人生の真実を切り取ってみせた作品である。タイトルの「逃げ切れた夢」は解釈が難しい。末永は子供時代は恵まれていたと思っている。その後の人生も、そんなに酷い状況に陥らないままにやり過ごせた。公立高校の教師になって税金で給料をもらい、家も建てて、娘も育てた。痴呆の父親を施設に入れることもできた。自分も痴呆の兆しはあるが、なんとか酷くなる前に死ねたらいいと薄っすらと願っている。

 舞台は福岡県。松重豊が演じた旧友が「しゃあしい」を連発するが、これは九州弁で「やかましい」という意味で、余計なお世話という意味も含んでいる。「嫌い」という代わりに「好かん」を使うのも九州弁だ。否定的な表現をオブラートに包む京都弁の文化が流れてきている言葉だと思う。
 本作品では方言がそのままだが、大方の人は意味が理解できたと思う。それだけ光石研の演技も二ノ宮隆太郎監督の演出も見事だったわけで、とても楽しく鑑賞できた。ただ一点だけ、最近学校に来なくなっている、あと半年で卒業の女生徒のことはどうなったのだろうか。それだけがやけに気になる(笑)。