三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「渇水」

2023年06月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「渇水」を観た。
映画『渇水』公式サイト - KADOKAWA

映画『渇水』公式サイト - KADOKAWA

映画『渇水』6/2(金)ロードショー。渇いた世界に、希望の雨は降るのか−。主演:生田斗真×企画プロデュース:白石和彌(『凶悪』『孤狼の血』『ひとよ』)×監督:髙橋正弥...

 とても面白かった。主人公は水道局の職員という地味な役柄だが、水道代を払えない人々の上水道の給水停止処理を続ける中で、やりきれない世の矛盾を実感していく。

 岩切と木田のコンビがとてもいい。水道という最も基本的なライフラインの代金さえ払えない人々に対して、自分たちは税金で暮らす安全圏にいることを自覚している。決して前向きな仕事ではないし、何も生み出さない。
 ふたりの疑問はよく分かる。公務員は市民のために働く仕事ではないのか。水道を停止していくことは市民の生命や健康を危険に陥れこそすれ、決して市民の福祉に寄与しているとは思えない。課長の態度を見ている限り、仕事だからやれ、嫌なら辞めろと言っているみたいだ。
 しかし課長の言うことは、ある意味で間違っていない。大抵の人は自分にできることを仕事として生活している。好きなこと、やりたいことだけをやって生きていける人はごく少数だ。好きでもない仕事でも、作業興奮という脳の働きで、大方の作業は楽しく感じるようになる。仕事の意義や社会貢献を顧みたりしなければ、働くことはそれほど苦痛ではない。

 だが他人を苦しめる仕事はどうだろうか。強盗や泥棒や詐欺みたいな犯罪でも、成功体験がドーパミンを分泌させるかもしれない。結果が出る仕事だ。結果が出ないで、単に他人を苦しめるだけの仕事はそんなにないかもしれない。水道局の給水停止係はそういう意味では苛酷な仕事だ。

 さて仕事と同じように、実家に帰っている妻と子供との関係にも悩む岩切だが、世の中が乾燥していても、人と人との間には潤いが必要であることに気がつく。それが滝のシーンである。乾燥しているはずなのに滝の水量が多いことは置いておいて、描きたかったのは滝壺周辺に大量発生しているマイナスイオンだろう。マイナスイオンを浴びて潤うことで人は癒される。
 潤いとは優しさだ。他人の幸せを思う無償の行為である。スーパーで少女を見たときに、岩切の心に天啓のように潤いが溢れ出す。他人とどう接すればいいのか、答えは簡単だった。

 タイトルの「渇水」に心の渇きの意味もあることは誰もが承知していると思う。使われる童謡は野口雨情の「しゃぼん玉」と北原白秋の「あめふり」だ。いずれも子供と水の関係性を歌った歌である。本作品には、世の中が乾燥していても、心に潤いのある生き方は可能だと思わせる部分がある。それは髙橋正弥監督の優しさかもしれない。今年(2023年)の6月23日公開予定の同監督の「愛のこむらがえり」も楽しみだ。

映画「怪物」

2023年06月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「怪物」を観た。
映画『怪物』 公式サイト

映画『怪物』 公式サイト

監督・是枝裕和 × 脚本・坂元裕二 日本屈指の映像作家&ストーリーテラー、夢のコラボレーション実現! 映画『怪物』 2023年6月2日(金)公開決定!!

映画『怪物』 公式サイト

 同じ事実でも人によって見え方が異なる。人は自分の都合のいいように事実を解釈するものだ。本作品では同じ場面が違う視点から繰り返されることで、真実に迫っていく部分があり、それが観客を引っ張っていく。演出の力だ。そこは素直に評価する。

 しかし観終わると、なにかおかしい。フランス映画は余韻があると言われるが、本作品は余韻があるどころか、余韻しかないと言ってもいいくらいだ。本作品の余韻は独特で、その殆どが違和感である。だからなのだろうか、素直に感動できなかった。

 坂元裕二の脚本は、映画「花束みたいな恋をした」もそうだったが、妙にリアリティを損なう台詞がある。本作品では一連の教師たちの台詞がそうだった。
 当方は仕事でたくさんのクレームの対応をした経験があるが、一件ごとに事情が異なっているから、本作品の教師たちのようなマニュアル通りみたいな対応はできなかった。それよりも、実際に何が起きたのか、事実はどうだったのかと、真相を明らかにするのが解決への一番の近道だった。
 その場を取り繕うのではなくて、事案の本質と原因を追及しようとする姿勢を見せれば、相手に安心感を与えることが出来る。感情的な側面が解決すれば、その後は一緒になって問題解決をしていけばいい。それが普通だと思う。少なくとも当方はそのやり方でクレームを解決していった。
 本作品の教師たちみたいな対応は、現実にはあり得ないと言っていい。敢えて典型的なシーンにしようと思ったのだろうが、逆にステレオタイプに堕している。

 何をもって「怪物」と呼ぼうとしているのかはわかる。保利教諭の「男だろ」という台詞や、安藤サクラが演じる母親の重すぎる愛、教師たちの必要以上の身構え方、子どもたちの「お前は女か」という台詞。それらから浮かび上がるのは、パターナリズム、親の独善、組織の論理と人々の保身、LGBTに対する無理解などである。つまりは世間そのものだ。

 演出が脚本と喧嘩しているような場面がいくつもあった。自然な演技と不自然な演技の両方があって、役者陣は大変だっただろう。永山瑛太の保利教諭はまるで二重人格かと思わせるし、世間の代表みたいな田中裕子の校長も同じである。どの登場人物にも洞察力がなさすぎるのもおかしい。なのにラスト近くになって急に校長や保利教諭が洞察力を発揮するのは、ご都合主義すぎる。
 いじめやLGBTやパターナリズムなど、テーマはそれなりに詰め込んでいるし、子役を含めて俳優陣の演技にはところどころ光るものがあったが、いかんせん脚本に違和感がありすぎて、作品としてはあまり高い評価はできなかった。