映画「カード・カウンター」を観た。
カードを記憶することでブラックジャックでディーラーに勝つギャンブラーを、カジノ側がカード・カウンターと呼んで、警戒を始めたのはいつだろう。ダスティン・ホフマンとトム・クルーズが共演した1988年製作の映画「レインマン」でも、サバン症候群のレイモンドがカードを記憶してカジノで勝つシーンがあったと思う。その頃からかもしれない。
本作品はスマホもあるしGoogleのストリートビューも登場するので、現代の設定だ。カジノの拝金主義は昔と変わらないから、カード・カウンターに対する警戒は継続している。しかし主人公のティリッチは、卓越したカード・カウント技術を持ちながら、カジノから排斥されないように少額の儲けで抑えている。最初のブラックジャックのシーンでの両替は10万円ほどだ。それでも確実に勝てるのであれば、月に10回カジノに行けば100万円の儲けになる。カジノにとっては取るに足らない金額だから、排斥されることもない。賢いやり方だが、仕事としては前に進むことがなくて、誰にも評価されない。パチプロが尊敬されないのと同じだ。虚しい日々が死ぬまで続くだけだ。
変化は突然訪れる。安全無事の路線だったティリッチだが、他人の役に立てるかもしれない。前途のある青年を無意味な復讐への執着から救い出すのだ。復讐は後ろ向きの行動である。思えば、軍隊のときからこれまで、後ろ向きの生き方しかしてこなかった。しかしこれからは前を向いて生きていけるかもしれない。
起承転結の明快なストーリーで、カードゲームに詳しくなくても十分に楽しめる。社会の歪みと運に翻弄された人生だが、いまはカードゲームの運を操って生きている。表と出るか裏と出るか。勝負のシーンは静かだが、スリリングだ。周囲の様々な事柄を一瞥で洞察する。さすがポール・シュレイダーである。ドラマに人生があった。