三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「名も無い日」

2021年06月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「名も無い日」を観た。
 兄弟は他人のはじまりというが、世の中には大人になってからも仲のいい兄弟もいる。兄弟の仲というのは、親が金持ちで巨額の遺産があったりすれば骨肉の争いも考えられるが、大したことがなければ仲が悪くなることはない。しかし、かと言って仲がいいかというと、それほどでもないと思う。
 何が言いたいかというと、大抵の兄弟は大人になったら疎遠になるということだ。最後は親の葬式や命日くらいでしか顔を合わせることがなくなる。それからお互いの葬式の日だ。淋しい話だが、そういうものだと思うし、それでいいと思う。
 本作品は兄弟が兄弟の死に対してどれだけの責任を感じなければならないかという話である。もちろん理屈で割り切れる問題ではないから、互いに対する思い出や気持ちに左右される個人的な問題である。本作品が問いかけるのは、救えたかもしれない兄弟を救わなかったことについての罪の意識であり、地域の全員が許しても自分が許さないときに、どのような生き方があるのかということだと思う。
 しかしどこか響いてこない。何が起きたのかを小出しにしてストーリーを進める、ある意味で姑息な展開にしたおかげで、観客が事実を推測する鑑賞の仕方になってしまった。これが先に事件を提示して、そこに永瀬正敏演じる小野達也が帰国するという普通の展開であれば、小野3兄弟それぞれの気持ちに感情移入できたかもしれない。
 テーマは悪くないのだが、ストーリー展開がひねり過ぎだ。時系列を順に進めながら、次男の思い出を挿入するという王道の展開なら、もっといい作品になったと思う。カメラマンとしての達也の世界観もはっきりせず、カメラを構えるシーンが無意味なシーンになってしまった。なんとも残念である。

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