日本が目指すべきは、戦後レジームからの脱却であるが、そこにとどまるべきではないだろう。明治維新が達成されたのは、「天皇親政」への熱き思いがあったからだ。久野昭が『歴史哲学序説』で「明治維新は、神武という神話的祖型への反復であった」との見方をしている。いうまでもなく、明治以前の天皇は精神的な権威でしかなく、実際に政治を行ったわけではない。しかし、日本が危機に直面するや、日本人は「天皇親政」に活路を見出したのである。慶応3年12月9日の「王制復古の大号令」でも、「諸事神武創業之始ニ原(もとづ)キ」という言葉がある。日本人にとって立ちかえるべき世界があるかどうかは、それこそがもっとも根源的な問いかけである。戦後のアメリカによる「民主化」によって、神話教育が行われなくなった。事実かどうかよりも、そこに民族の魂が脈打っているのは確かである。それを否定されたことで戦後の日本の混乱が引き起こされたのである。「神話的祖型」とは何であるか。エリアーデは『永遠回帰の神話』において「神話の周期的な朗唱は世俗的存在によって築かれた障壁を突破する。神話は、たえず、偉大な時を再現し、そうすることによって、聴衆を超人間的、超歴史的な面に引きあげる。聴衆が世俗的な個人的な存在のレヴェルでは接近できない実在性に近づくことができるのは、とりわけ、このような神話のはたらきのおかげなのである」と書いている。日本のルネッサンスとは、日本の神話を復活させることでもあり、たかだか戦後70年のことではないのである。
←応援のクリックをお願いたします。