右であれ左であれ、ほとんどの言論人はいい加減である。それを肝に銘じて接するべきだろう。真理がどうであるかよりも、自らの虚栄心を満足させてくれるかどうかなのである。エリック・ホッファーは『大衆運動』(高根正昭訳)において「若いカール・マルクスが、称号と政府の重要な職を授与されていたら、おそらく彼はプロシアの世界にひき入れられていただろう」と書いている。さらに、右のエドモンド・バークをも俎上に乗せ「王侯貴族に後援されたバークのような人は、『豚のような民衆』について語り、貧乏人に『忍耐、労働、禁酒、節約そして宗教』を勧めた」と言い切った。ナチス・ドイツやボルシェヴィキ・ロシアにおいても、言論人の多くは口をつぐんだのである。言論人は額に汗をする労働にいそしんでいるわけではない。不安定な生活を強いられており、手を差しのべてくれる勢力があれば、ついついそこに加担することになるのだ。言論人によりかかるのは間違いなのである。大手のマスコミ関係者と話をしてビックリしたことがあった。民主党政権が誕生する直前であったが、政権交代の意義を説くとともに、「駄目だったら戻せばいいんですから」と他人事であった。自分たちは自由自在に世の中を操れると勘違いしているのだ。土民大衆である私たちは、言論人の主張を鵜呑みにするのではなく、疑ってかかる必要がある。とくに今の世にあっては言論活動は商売でしかなく、儲かるか儲からないかなのである。
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