健さんが三島由紀夫の映画を作りたがっていた。それを知って高倉健という役者に惚れ直した。三島さんのやむにやまれぬ思いを、健さんは共有していたのである。昭和20年8月15日の敗戦の悔しさを、健さんも味わったのである。それ以降の日本はふやけた国家となり、アメリカへの従属を強めていったのである。三島さんが自刃した昭和45年は、敗戦から四半世紀しか経過していなかった。出陣した若者が中高年に達した時代であった。アメリカと戦った日本人がまだたくさん生存していたのだ。少数で殴り込みをかける任侠の世界の美学のように、三島さんも義のために死んで見せたのだ。あれから半世紀に近い歳月が経ってしまった。ようやく戦後レジームからの脱却が叫ばれるようになってきたが、憲法改正は未だに実現していない。国軍たりえない自衛隊は、今でも様々な嫌がらせを受けている。街角には日本共産党による「憲法九条を守れ」の看板が立ち、国を護ることが悪であるかのようなプロパガンダがまかり通っている。三島さんの映画が健さん主演で完成していたらば、かなりのインパクトがあったはずだ。銀幕のスターであった健さんの手には、いつも日本刀があった。三島さんも日本刀でもって国を変えようとした。二人とも真の日本人なのであり、後に続く日本人がどれだけ出てくるかなのである。
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