草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

民主党の分裂心配し自民党に譲歩迫る朝日社説を嗤う!

2012年06月06日 | マスコミ評

 いつものこととはいえ、朝日新聞の論説委員は、自分を何様だと思っているのだろう。今日の朝刊の社説「谷垣自民党ー責任野党の矜持を示せ」も、上から目線そのものではなかろうか。自民党が野田佳彦首相の足を引っ張っているかのように書いているが、意思統一ができない民主党こそが問題なのである。嗤ってしまったのは、衆議院の解散を約束したり、社会保障政策の自民党案丸呑みにすれば、「首相が受け入れた途端、民主党が分裂含みになるのは必至だ」と心配していることだ。民主党が消滅しては困るからだろう。国民のことなどどうでもいいのである。今自民党に譲歩を求めるのであれば、自民党政権時代に民主党に対して、なぜそれを求めなかったのだろう。政権交代が起きる以前に、元政治部にいたことがある朝日新聞関係者と激論になったことがある。「民主党が政権を手にしても、今のままのマニフェストでは混乱するだけではないか」と詰問すると、「なにはともあれ政権交代ですよ。ダメだったら代えればいいんですから」とあつけらかんとしていた。朝日新聞は、まさしく社を挙げて応援団を買って出たのである。普通であれば、自らの非を認めて、一日も早い解散総選挙を主張すべきであるのに、その社説を読む限り、またまた醜態をさらしているのだから、もはや救いようがない。民主党を批判せずして、自民党に矛先を向けるにいたっては、天下の朝日新聞も、やきが回ったとしかいいようがない。

 
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山形の人々 五首

2012年06月05日 | 短歌

 ものなべて北に向かいしさみしさはみちのく人の我も変わらず

 米沢も山形もまた会津なりぶっきらぼうが親しみの情

 あわれなる山の深さようつそみのさみしき笑みは自嘲なりしか

 地酒なるみちのく人の舌触りキレ味よりも甘さ切なし

 ひと山を越えればそこは置賜ぞ奥羽は一つ相抱きたり

  
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「こころは虚空を遍歴しているような」ぶざまな民主党政治!

2012年06月05日 | 思想家

 今の民主党政治は魂がなくなった抜け殻ではないか。綱領もない政党であろうとも、ある種の共通項はあったはずだ。しかし、マニフェストを反古にした時点で、もはやそれもなくなったわけだから、本来であれば、すぐに政権を返上すべきなのである。魂が入ってなくて、どうして危機的状況を乗り切ることができよう。山本周五郎に『虚空遍歴』という小説がある。放浪の芸術家である中藤沖也は、江戸浄瑠璃の完成に生涯を賭けるが、それを果たせず、虚しく北陸今庄の宿で果てたのであった。紀野一義はその小説について『遍歴放浪の世界』で触れている。人生は旅そのものだと論じながら、紀野によれば「大地を踏みしめ行く」「大地の上にあるのはいのちばかりでこころは虚空を遍歴している」の二つの旅があるのだという。中藤沖也は後者であったのであり、魂はここにあらずなのである。政治がそれと同じであれば、国民は右往左往するしかなくなる。一本芯が通っていなくては、全てが中途半端になってしまうからだ。「大地を踏みしめて行く」というのは、日本という国柄を守り育てることであるのに、「いのち」に突き動かされて、それをコントロールすべき国柄を見失った政治が、日本に混乱をもたらしているのではないか。野田佳彦首相がなりふり構わないのは、権力の座をを手放したくない一心で、魂としての大義を見失っているからだろう。

 
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森本防衛大臣誕生は民主得意の自民への抱きつき戦術だ!

2012年06月04日 | 自衛隊

 何でもありの無責任集団が民主党政権である。新防衛大臣に、保守派の森本敏拓殖大学教授を選んだのは、自民党への抱きつき戦術である。野田佳彦首相には主義主張があるのだろうか、勉強不足で、この私も、森本論文を一つとして読んだことがない。テレビにコメンテーターとして出ていることは知っていたが、民主党政権の閣僚になるとは、露ぞ思わなかった。ただ、野田首相にとっては、森本が元自衛官であることから、自衛隊を引きつけておくための苦肉の策なのだろう。しかし、それは甘過ぎる。拓殖大学日本文化研究所発行の季刊「日本文化」がある。平成16年1月10日号に、竹本忠雄が「天空の捨て身」という一文を投稿している。B29に体当たりをした特攻機のことを書いたのである。「針よりも細く、ひとすじの光が青空を突き刺すと見るや、閃光が走り、B29の巨体が真っ二つに割れ、高空から、ゆっくりと、回転しながら落下してくる……」。少年の日に、その光景を目撃した竹本は「いまもなお、閃光は鮮やかである。一人の若い命が玉と散り、そのお陰で私は生き永らえている」と述懐していた。先の戦争では、おびただしい数の若者が身を捧げた。戦争とはそういうものであり、自衛隊もいざとなれば、同じことが求められるのだ。危機に際して、本当に森本が命令を下せるのだろうか。尖閣をめぐって、中共と日本は一触即発である。優柔不断は断じて許されないのだ。森本も貧乏くじを引いたものである。

  
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今の日本にとって中共は前門の虎でアメリカは後門の狼だ!

2012年06月04日 | 思想家

 政局だけの政治がまかり通っている。野田佳彦首相は小細工を弄して、民主党内をまとめるのを最優先にしている。小沢一郎を排除する勇気もなく、それでいて、消費税増税だけは、自民党の協力で成立させたい意向のようだ。しかし、ここまで酷いと、民主党離れが加速するのは、当然の成り行きである。現在の民主党政権の中枢にいるのは、平和だとか友愛だとかの御託を並べるだけの、戦後民主主義の落とし子だ。すぐに理想論を振り回すので、それがかえって、平地に波瀾を起こすことになり、政治の混乱に拍車をかけている。カール・シュミットは『政治的なものの概念』(田中浩・原田武雄訳)において、「個々の国民が全世界に対して友好宣言をし、あるいはみずからすすんで武装解除をすることによって、友・敵を除去出来ると考えることは誤りであろう」と指摘するとともに、「もしも一国民が政治的生存の労苦と危険とを恐れるなら、そのときまさに、この労苦を肩代わりしてくれる他の国民が現れるであろう」と断言した。国家として身構えることができないのならば、外国勢力に付け込まれ、日本は滅亡するしかないのだ。軍事大国化を目指す中共や、経済的に日本を弱体化しようとするアメリカは、前門の虎、後門の狼である。今なすべきは、国益を最優先にする勢力が結束し、中共の軍事的脅威に備えると同時に、理不尽なアメリカの要求に対しては、ノンを言うことではないか。

 
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角栄と違って保守派から同情の声が上がらない小沢一郎!

2012年06月03日 | 政局

 野田佳彦と小沢一郎との会談など、お互いにアリバイ作りでしかない。小沢は本気で喧嘩する気がないし、野田は党内融和を取り繕うために、顔を合わせる必要があったのだ。しかし、そんなことをしても、被告人の小沢が、主導権を回復するのは無理である。小沢に世話になったマスコミ関係者が、応援しているかのような振りをしているだけで、後ろには誰一人いないのである。田中角栄には人間的な魅力があった。ロッキード事件にしても、アメリカの謀略という感じがする。右翼の大物であった児玉誉士夫と一緒に葬ることで、属国化を進めようとしたのだろう。アメリカ流民主主義の影響を受けた進歩的文化人よりは、角栄の方がはるかに脅威であったからだ。会津高校の先輩である小室直樹を、私は誇らしげに思ったものだ。テレビに出演して、角栄を犯罪者扱いをする小沢遼子を足蹴りにしたのだから、角栄擁護の旗頭であった。ロッキード裁判をめぐっては、栗本慎一郎が『鉄の処女』で渡部昇一と立花隆を対戦させた。そして、はたき込みで渡部に軍配をあげた。保守派の論客の多くは、いかなる罪に問われようとも、角栄に同情的であった。それと比べると、小沢への風当たりは強い。一本芯が通っていないからだろう。消費税増税に賛成できないのならば、さっさと離党すればいいのだ。それもできないのは、与党を離れれば、裁判で有罪になり、お縄になると思っているからだろう。

 
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ブログなどのネット言論が活発なのは乱世であるからだ!

2012年06月03日 | エッセイ

 もう2年以上になるが、毎日朝晩ブログを書くのが日課になってしまった。わずか原稿用紙1枚半程度の文章というのは、100㍍競争ではなく、せいぜい50㍍競争程度で、瞬発力が勝負である。慌ただしくネタを仕込み、それに味付けをするのだ。腹が立つことばかりなので、黙っているわけにはいかないのである。とくに、昨年3月11日の原発事故以降の日本の政治は、目に余るものがある。国家としての統治能力がない民主党政権では、国民に不安感を与えるだけだ。さらにはマスコミも同罪で、同じサヨクのよしみで、それを黙認するにいたっては、何をか言わんやである。世の中がずっこけているので、ついついパソコンに向かうことになるのだ。尾崎放歳の句に「人をそしる心を捨て豆の皮むく」というのがある。本来であれば、もう還暦を過ぎたわけだから、エキサイトせずに人生を達観してもよさそうなのに、今の時代はそれを許してくれないのである。しかも、右とか左とかの単純な色分けではすまなくなっており、一筋縄ではいかない。私はグローバリズムに一貫して反対であり、国家として身構えるべきだと主張している。しかし、その一方で原発には懐疑的であり、楽観的な未来などは露ぞ考えたことがない。私はそれが正しいと思っており、どこまで書き続けられるかは天のみ知るだが、まだまだ人生を達観するわけにはいかないのである。

 
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スパイ摘発で洗い出されるべきは日本人の協力者だ!

2012年06月02日 | 安全保障

 日本を舞台にスパイを働いた人物としては、リヒアルト・ゾルゲのことがよく引き合いに出される。日本の最高機密に接していたゾルゲは、日本の本音が南進政策であることを、ソ連に報告した。その結果、ソ連は関東軍に備える必要がなくなり、西部の対独戦線に全力を投入できたのである。それが世界史を変えたとも評されている。ゾルゲはドイツ人であったにもかかわらず、モスクワで訓練を受けたスパイであった。赤軍参謀本部第四部に属していた。今回スパイ活動の疑惑が持たれている中共大使館の一等書記官も、人民解放軍の総参謀本部第二部に属していた。その点では似通っている。また、ゾルゲはドイツの新聞社の特派員、ドイツで学位を取得した政治学博士という二つの肩書を使っていたので、日独両方の政府の信頼を得ていた。ネットワークも縦横に張り巡らされ、意識するかしないかは別にして、多くの政治家や官僚、さらにはマスコミ関係者が、ゾルゲの協力者であった。活動期間も1933年から1941年の長期にわたった。その一等書記官も、同じようにおびただしい数の日本人と接触していたはずだ。とくに、TPPの交渉参加をめぐって、日本がどのような対応をするかについて、喉から手が出るほど情報が欲しかったのではないか。中共が今後の対米外交を行う上でも、大いに参考になるからだ。日本の治安当局は、その一等書記官の人脈を徹底的に洗い出すべきだろう。そうすれば、誰が国を売ったかが、白日の下に晒されるはずだから。

 
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国益を踏みにじり外国の走狗と化す政治家は国民の敵だ!

2012年06月02日 | 思想家

 世界中が平和愛好国だと思っていたのが戦後の日本であった。好戦的な国民は誰あろう自分たちなのだから、その手足を縛っておけば、間違っても戦争になどなるわけがない。そんなことを本気で考えていたのだから、お人好しな国民なのである。それが自虐史観であり、だからこそ、売国的なことも平気なのだ。中共大使館の一等書記官の問題に限らず、日本の政治家の多くは、外国のエージェントになって、その走狗と化しているのではないか。それでも、冷戦が崩壊するまでは、日本のスタンスが明確であったことで、かろうじて混乱は起きなかった。もちろん、全ての面で日本とアメリカとの利害が一致するわけではない。日本がここまで骨抜きにされてしまったのは、アメリカによる弱体化政策があったことも事実だ。政治家である限りは、ナショナル・インタレスト(国益)を最優先させるべきなのである。高山岩男はあるべき政治家像として「権力や利益の次元の欲望を超越して自ら空となる如き人物でなければ、真実の政治家とはなれないのである」(『教育哲学』)として、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るなり」という西郷隆盛の有名な言葉を紹介している。外国の手先となってしまうのは、利益供与を受けるからだろう。それをはねのける政治家が日本にどれだけいるのだろうか。私から見ればあまりにも心もとない。

 
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イサベラ・バードの『日本奥地紀行』に記された峠越えの駅場

2012年06月01日 | エッセイ

 今日の午前中、会津美里町の市野まで車で出かけてきた。会津はどこに出るのにも峠を越えなければならないが、廃れた峠道に乗り入れると、不思議と心が落ち着く。そこに向かう途中に桐の花が咲いていた。「いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにおしえし桐の花はも」という短歌を芥川龍之介が残している。桐の花から汚れなき幼い日を連想したのだ。淡い紫色の筒状で、甘い香りが漂っているのが桐の花である。奥ゆかしさがあるだけに、山が連なる奥会津には、ことさらその花が似合う。ほのかに咲くからだろう。平成2年に林道が開通したことで、以前のように下郷町の大内宿まで通行が可能になった。会津西街道は大内宿から関山を経て若松に出るルートもあったが、イサベラ・バードは市野から高田を目指したのである。バードは『日本奥地紀行』で「そこの駅場係は女性であった。女性が宿屋や商店を経営し、農業をやるのは男性と同じく自由である」と書き記している。バードは鉄火肌のような会津女を目撃したのだろうか。そうではなくて、身を粉にして働く健気さに、心打たれたのだと思う。バードがそこを馬で通ったのは、明治11年6月28日のことである。すでに桐の花は散っていたとしても、可憐な会津女が出迎えたのだろう。耳を澄ますと馬のいななきが聞こえてきそうで、峠越えの駅場であった集落を前に、勝手にそんなことを想像してしまった。

 
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