中国共産党の一党支配を終わらせることは、内政干渉ではない。自由と民主主義を無視し、人権を踏みにじる国家を断じて認められないからである。ポンぺオ国務長官は一昨日、ウイグルでの人権侵害に関与したとして、陳全国共産党委員会書記らのビザ発給を制限する制裁措置を発表した。トランプ政権は中共との対決姿勢をより鮮明にしてきているのだ。香港での「高度な自治」を擁護するとともに、台湾への支援を強めているのも、その一環である▼賢明な哲学者であったヤスパースは、中共が今日のような強大な軍事国家になることを予言していた。このために米国との関係の強化を、西側陣営は根本に据えることを訴えたのである。日本が米国と中共との仲介をするなどというのは、甘い幻想でしかないのである▼「やはりこれに対応した軍事力をもつ者のみが、生き残ることができる。かかる軍事力を実現しうるのは、自由世界のなかでは、唯一の指導のもとにある包括的な共同体のみである。同盟だけでは十分でない。自由諸国の統一的総司令と統一的外交政策が必要不可欠である。この世界は、全体主義国家が強制と恐怖によっておこなっていることを、自由によっておこなわなければならない」(『哲学の学校』松浪信三郎訳)▼差し迫った危機を乗り切るには、安全保障上の観点からも、米国を中心とした西側国家群に加わるしか、選択肢は残されていないのである。
東京都で新型コロナウイルスの感染者が増え続けている。第二波がやって来たのか、それともPCR検査を増やしたことで、現状を把握できるようになったのか、その辺のことはよく分からないが、ジョンズ・ホプキンス大学の今朝の段階の発表によると、日本人の感染者は2万人を超え、死者数も1千人に迫りつつある▼一旦は終息に向かいつつあると思われたが、ここ数日は東京都だけは異常に突出している。気が緩んできているのではないか。若い人が多いというのは、罹っても重症化するリスクが低いからだろう。命にかかわるのは65歳以上の高齢者か、基礎疾患がある人たちである。それでついつい甘く見てしまうのだろう▼国は飲食店や旅館などに手厚い援助をすべきである。営業を継続するためには、徹底した感染症対策を実施しなくてはならない。それなりのコストがかかるのであり、運転資金も含めてそこに集中的に資金を投下すべきである。さらに雇用を維持するためにも、ロックダウンなどで経済活動をストップするわけにはいかず、今後も気を引き締めて、手抜きすることなく、三密にならないとか、やるべきことをやるしかない。新型コロナウイルスとの闘いはこれからも長期間続くことを、私たちは覚悟しなくてはならないのである。
今の世にあって、中共のような全体主義国家が存続できるのはなぜだろうか。かつてのように中共は竹のカーテンの向こう側に存在するのではなく、グローバル化する世界の中で、人々は自分たち以外の他者が存在し、そこでは自由な言論や意志表示が許されていることを知ったはずなのに、なぜ中国共産党は打倒されないのだろうか▼全体主義国家においては、秘密警察が重要な役割を果たしている。ハンナ・アレントは『全体主義の起源』(大久保和郎、大島通義、大島かおり訳)で「全体主義的支配機構の権力中枢として正体をあらわす唯一の機関は、秘密警察である」と書いている。「客観的な敵」を新たに創造することで、国家は絶えず不安定な状態に置かれていなければならず、危機を絶えずつくりだすのが全体主義国家なのである▼収容所の役割も、反対派がいるかどうかとは無関係である。アレントは「『自己の種を保存する』ことしかないような種類の人間を作り出すことなのだ」(『全体主義の起源』)と述べている。その実験の場がウイグルやチベットなのである。中国共産党の頸木から人々が解き放たれることを願うのは、同じ人間として当然のことなのである。それを日本政府が口にできないのならば、私たちが声を上げるべきなのである。
「諸国民の公正と信義」に信頼するのではなく、日本自らが国家意思を示す時代が到来したのである。国際社会に向かって、言うべきことは言わなくてはならないのである▼自民党の外交部会と外交調査会は6日に行われ、習近平の国賓来日の中止を求める決議案について協議した。毎日新聞の電子版が報じたもので、中共による「香港国家安全維持法」の制定を受け、これに反発する保守派が採択をしようとしているのに対して、二階派議員が異論を述べた▼発言者27人のうち、反対・慎重は5人にとどまったが、最終的には中山泰秀部会長に一任し、「中止」の文言を残したうえで、表現を微調整することになった。保守主義を掲げる自民党ですら、親中派議員はかなりの数いるのだ。今中共が香港などで行っていることは、ヒットラーやスターリンに匹敵する人権侵害であり、断じて許されるべきことではない▼残念でならないのは、自民党の保守派の議員以外には、面と向かって中共を批判する勢力がないことだ。与党の一翼をなっている公明党は、未だに習近平の国賓訪日にこだわっている。互恵平等の関係を築くためにも、卑屈になるのは間違っている。国家として言うべきことを言うべきなのである。中国共産党によって抑圧されている人たちの側にこそ、私たちは立たなければならないのである。
日本人が世界に誇れるものがあるとすれば、それは国民が一致結束することではないか。それが日本の国柄であり、それが壊れない限り、日本は安泰なのである。危機的な状況下では、イデオロギーを超えて結束しなければならないのである。尖閣諸島に中共船がやってきて、領海侵犯をしていることに対して、多くの日本人は怒り心頭に発しているのではないか。武力によって領土を拡張する覇権主義は、断じて許されるものではないからだ▼外国の勢力は、日本人の分断を策して様々な工作を試みてきている。それに私たちは翻弄されてはならないのである。日本を守り抜くために、それに加担する者たちを徹底的に糾弾しなくてはならない。国家として身構えるということは、武力だけを意味するのではないのだ▼新型コロナウイルスに対しても、遠つ祖から受け継いできた公共の精神によって対処すれば、危機的な状況を乗り切ることはできるのである。「和を以て貴しと為す」という聖徳太子の17条の憲法の精神こそ大事にされなくてはならないのである。日本人同士が争っているときではないのだ。幾多の苦難を乗り越えてきた日本民族は、団結心があったからこそ、外敵や過酷な自然災害から身を守ることができたのだ。今こそそのことの意味を私たちは噛みしめるべきなのである。
今回の東京都知事選挙でもっとも注目したのは、日本第一党の桜井誠氏の得票数であった。178784票を獲得したことは驚きであった。前回の都知事選挙と比べて64613票も増やしたのである。得票率は2・85パーセントであった。新型コロナの感染拡大で、思ったように選挙運動ができなかったにもかかわらず、マスコミから一切無視されたにもかかわらず、日本人の中に新たな政治的的潮流が生まれつつあるのだ▼もしマスコミが有力な候補者として扱っていれば、その倍の票になったのは間違いない。有権者にとっては、マスコミが取り上げなければ、選択肢のなかに含めることは困難なのである。今後は日本第一党がじわじわと党勢を拡大していくのではないだろうか▼日本の左翼やリベラルが大衆の不満の受け皿にならないことで、日本第一党に向かわざるを得なくなっているのだ。彼らを排外主義者扱いにして排除すべきではない。真摯に彼らの主張に耳を傾けるべきである。外国人に生活保護を与えることの是非とか、移民政策を推進することの問題点について、とことん議論をすべきなのである▼既得権益に守られながら、それでいて民主主義の大切さを説く者たちへの反逆は、怒れる大衆の爆発でもある。明治維新もそうであったが、極端な尊皇攘夷が国を動かしたのである。日本第一党や桜井誠氏を支持する人たちを甘く見てはならないのである。
武漢発の新型コロナウイルスを撲滅することは不可能なわけだから、命を救うことにシフトする以外にない。介護施設や病院でのクラスター対策に万全を期すべきだろう。日本で死者の数が1000人以下なのは、核家族化して、高齢者と若い人が一緒に暮らしていないからではないか。日本の経済を支えてくれる若い人たちを制限するのではなく、自らを守るために、高齢者が外出を慎むしかないだろう▼マスコミが騒ぎを大きくしているが、それに振り回されてはならない。マスクをするとか、三密にならないとかの対策を講じていれば、感染するリスクをそれほど高いわけではなく、都市封鎖とか制限を強化するのは間違っている。人類は感染症と共存しながら命脈を保ってきた。感染の拡大を警戒しながらも、経済活動を停止してはならないのである。いくら国から持続化給付金が出ても、それだけでは暮らしていけない。歯を食いしばって頑張るしかないのである▼新宿などの夜の街で感染者が相次ぎ、3日連続で100人を上回った。今後それが拡大したとしても、私たちは冷静に対処すべきなのである。日々の暮らしが破壊されれば、新型コロナウイルスでの死者以上に、自殺者が増加することが予想される。私たちは、何が大事かを自問自答すべきなのである。
東京で昨日確認された新型コロナウイルス感染者の124人のうち、30代以下が101人であった。小池百合子都知事が明かにしたもので、夜の街を出歩く若い世代の感染リスクが高いのであれば、若い人たちに向けた自粛キャンペーンを実施すべきだろう▼高齢者と若い人を比べると、ウイルスを拡散させるのは高齢者という記事を目にしたこともあるが、実際はよく分からないのであり、だからといって、甘く見るのは間違っている。行動力のある世代であればあるほど、広範囲に及ぶ可能性があるからだ。若い世代は重症化することはほぼ皆無だといわれる。マスクもせずに歩き回るのは、風邪と大差がないと高を括っているからだろう▼人間としての大事なものが抜け落ちているのではないか。公共性の欠如である。人に迷惑をかけることを何とも思わないのは、戦後教育の負の部分ではないだろうか。人間は一人で生きているわけではない。多くの人から社会は成り立っており、そのことの意味を考えるべきなのである▼今回の新型コロナウイルスで亡くなった人の大半は、高齢者か基礎的疾患がある社会的弱者である。弱い者に犠牲を強いているのだ。若い人に高齢者を労わり、健康を害した人たちをおもんばかる気持ちがあれば、新型コロナウイルスなど恐るるに足りないのである。
武漢発の新型コロナウイルスの東京での感染拡大が再び深刻になってきた。昨日は感染者が107人となった。国が再度緊急事態宣言を出すことになると、日本経済は致命的な事態になる。もはや後戻りをすることなく、新型コロナウイルスをできるだけ封じ込めるという戦略しかなくなっている▼最近は感染者の多くが夜の街の関係者であることが判明している。猪瀬直樹氏がツイートしているように、東京都は新宿や池袋のホストクラブやキャクラの名前を公表し、都民に警戒するよう呼びかけるべきである。感染経路が不明というのも、そういった場所に出入りしていることを知られたくないために、口にしたくないのである▼後に2年は今のような状態が続くのを覚悟すべきだろう。終息が難しいのであれば、うまく付き合っていくしかない。日本だけではなく、世界中の国々が大変な危機に直面している。これを乗り切るためには、新しい生活様式に切り替えなくてはならない。マスクが欠かせない生活に慣れるしかない。重症化するのは高齢者であり、基礎疾患がある人たちである。社会的弱者にどこまで配慮できるかも問われているのである▼極端に悲観する必要はないが、楽観は禁物なのである。経済活動を行いつつ感染を防止していく。難しいことではあるが、それを両立させるしかないのである。
中共による香港での国家安全法施行は、人類の英知に対する挑戦である。習近平は第二の毛沢東を目指し、独裁者になろうとしている。そんなことが許されてよいのだろうか。ウイグルやチベットに対して同じように、香港の民衆への弾圧は徹底的に行われるだろう。去る30日に全人代で可決された国家安全法は、反政府的行動の取り締まりに関して、国家分裂、政権転覆、テロ活動、外国勢力との結託の4種類の活動を犯罪行為と定め、最大で終身刑を科すという内容である▼企業やグループも対象とされ、違反すれば罰金ばかりか活動停止が命令される。違反者として認定されれば、いかなる選挙にも立候補できない。疑いが持たれる人物の監視、電話盗聴が認められる。香港の永住者、非永住者の双方に適用され、外国のNGOや報道機関への管理も強化されることになったのである▼ヤスパースは「自由世界は自分自身の欺瞞的状態を認識と批判にゆだね、これを改善してゆく可能性をもっています」(『根源的に問う』武藤光朗・赤羽竜夫)と述べているが、自己を絶対化するのが共産党の一党支配なのである。香港の民衆を見捨ててはならない。私たち一人ひとりが声を上げなければならない。そして、独裁国家の中共の侵略にも身構えなくてはならない。今日の香港、明日の台湾、明後日の日本なのであり、危機は目前に迫っているのである。