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平戸恋しや

2013-01-05 11:57:06 | 平戸
昨日夫は宿直勤務、私はひとりで『女正月』を楽しみ(?)ました。我が家の煮雑煮には白いお餅を使いますが、茶雑煮には玄米のお餅が美味しく感じます。それで玄米小餅を焼いて雑煮椀に入れ、鰹節をこんもり載せてお醤油を回しかけ、そこにたぎるように熱いお茶(湯)をかけます。これは平戸伝統の『茶雑煮』というもので、簡単美味、子供時代からよく食べました。祖母が小刀で鰹節を削ってくれたのを思い出します。その鰹節は最後ルビーかガーネットのように赤く透き通ってきれいだったのを思い出します。それをもってひとしきり眺めていると、いつも我が家の猫『若』が突進して来て、硬いので長い時間をかけしゃぶりながら食べていました。ついでにこの猫の名前は初代若乃花の『若』です。そんな昔の話です。

この茶雑煮は、私にとって平戸恋しやのシンボル、『へぎ餅』でもよくやりました。火鉢でこんがり焼いて同じように鰹節とお醤油にお茶をかけて食べる、言わばお八つのような楽しみです。

へぎ餅恋しや、恋しや・・・・・平戸にはジャガタラ文という悲しい江戸時代の遺文があります。平戸は松浦党の気風の城下町、海外飛躍というか、南蛮交易というか、ともかく国際都市でした。それでいつも珍しいのではと思うのですが、城下町の中心街は商人街で成り立っています。平戸の人はそこを『町』と呼びます。武士階級は主に『村』と言われた外殻地帯に住んでいました。それで裕福な商人達はかなり今風で、国際結婚もありました。そういう状況下、江戸幕府の鎖国令が下されます。

島原の乱鎮圧に成功した幕府は島原藩を親藩にしたうえ、南蛮貿易を幕府直轄にして辺鄙の地長崎を開発して天領とし貿易基地の出島を作りました。平戸の交易権は奪われてしまいました。そしてキリシタン追放令によって、平戸のかわいそうな娘達を含めてキリスト教の影のある者がジャガタラ(今のインドネシア)に追放されました。血肉を分けた子供達と無理やり引き離された母親もいたのです。そして遠い異国の地から送られてきた故郷の家族を恋うる手紙が、『ジャガタラ文』です。

     ひらどこいしや こいしや かりそめにたちいでて 
     またかへらぬふるさととおもへば・・・・・・・・


そして涙ながらに恋しい『うば様』にジャガタラのお茶を少し送ると結んであります。どんな暮らしをしたのでしょうか。当時の平戸人のことですから、ジャガタラに何がしかの基地を作ったと思います。それで便りを送ったりお土産を言伝たりしたのだと思いますが、決して帰国することはなく異郷で人生を終えました。そんな人達も平戸の食べ物が恋しかっただろうと思います。『へぎ餅』があったかどうかは分かりません。でも故郷と直結する食べ物は、きっと涙の味だったと思います。

『へぎ餅』はおかきの一種なのですが、特徴はすりガラスの透明度くらいに向こうが透けることです。1ミリあるかないかに削ぎ切ります。それで何が大変かというと、第一に切ること、第二に干すことです。のし餅を切りますが、硬くなり過ぎない頃、つまり28日にお餅をついて1日半くらいの硬くも柔らかくもない頃、大根で包丁の切れ味を復活させながら切ります。これが大変!!何しろ切る枚数が多いのです。そして枚数が多いということは干すために並べるのが大変ということになります。もろ蓋に重ならないように並べて、座敷の縁側にぐるりと並べました。

実家を引き継いだ弟は修理営繕に追われているようですが、家じゅうをぐるりと取り巻いた縁側がありました。その縁側一杯にへぎ餅を並べました。現代住宅では無理ですね。平戸の味茶雑煮は今でもどこにいても簡単に楽しめますが、『へぎ餅』はむずかしい・・・・・恋しい味です。もし平戸にへぎ餅があったら、きっと注文すると思います。平戸に帰ったらまた作りたいと思います。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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