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世情雑感・食・・・

2013-01-10 09:36:53 | マクロビオティック
今年になって急にスポーツ選手の『食』に関するコメントを多く聞くようになりました。まあ全体に『科学的』栄養学なのですが、従来言われてきた感じよりかなり『マクロビオティック』的になっているように思います。100%と言っていいように感じるのは『和食』に対する評価の見直しです。昨夜もNHKの『クローズアップ現代』で取り上げられていましたが、半世紀にわたって支持されてきたタンパク質信仰とも言えるような『偏見』に対する見直しを耳にしました。

私が中学生のころの家庭科では、タンパク質は一日30g以上摂取しても排泄される、と習いましたが、昨日は余分は脂肪として貯留されると言っていました。そして糖質の不足が持続力を弱めてしまうので、頂点に立つスポーツ選手はお米のご飯を必ず食べるようにしているのだとか・・・・・何となく隔世の感があります。あんなにご飯が排斥されていたのに・・・・・そういったニュースには決して『マクロビオティック』という単語は出てきませんが、そのニュースを発表している側は『マクロビオティック』というものを意識していると思います。

スポーツ選手は口をそろえて『食事の管理』と言っています。そしてそれが体力ばかりでなく、集中力などのメンタル力にも影響を及ぼすと言っています。彼のイチロー選手は『カレーしか食べない』ように報じられていますが、本当のところは分かりません。普通だったらかなり危険ですが、運動量・食材・調理法・分量に厳しいチェックが入っているのだろうと思います。中年になって青年の頃の体型とは違っていますが、それでも絞られた神経の張った体つきです。どのように経緯するのか、興味を持っています。多くのスポーツ選手は常人とは違った運動量でエネルギーを発散しています。すぐに発散されるエネルギー量の問題ではほとんど問題になりません。問題は貯留するものです。アクや残滓や排泄できなかったもの・・・・脂肪や脂肪に結合して貯留されているものです。老年になって出てきます。

その典型とも言えるケースが長嶋選手ではないかと思います。夫が大好きです。それで私も大好きになりました。小学2、3年生くらい(多分)の頃弟から『長嶋って知ってる?センカヤママットって知ってる?』って聞かれたことがあります。両方とも知らない私は『知らない』で済みましたが、父は大笑いしました。『センカヤママット』が『戦艦ヤマト』だと判明したからです。(結婚するまでスポーツにほとんど興味を持たなかった私ですが、今では夫のゴルフ評論家(?)です。)幼い少年の胸に戦艦大和と並ぶ長嶋選手でした。その長嶋選手は大病を体験し、太陽のような青年壮年時代とは全く別の老年時代を生きておられます。『長嶋茂雄』という他人の知らない困難を克服して過ごしてきた長嶋選手は別のお手本になって頑張っておられますが、お幸せを祈らずにはおれません。

老年の幸せ・・・・・これが人生のご褒美なのではないでしょうか。これは自分の感情ですから、他人から見える幸不幸とは関係ありませんが、そこには二つの要素があると思います。一つは、来し方に対する肯定と満足。自分がやってきたこと・信じてきたこと・そして食べてきたことに対する肯定。もう一つはその結果起こってくる寂寥感に否定が無いこと。寂寥感を超えられなくとも穏やかであるうちはまだ良い・・・・・寂しさに襲われて老年を楽しく過ごすことが出来ないのでは幸せとは言えません。その肯定と満足の基礎が心身の健康ではないかと思います。そしてその健康は肯定と満足の対象である自分の人生の有り様によって作られるのだと思います。

老年の寂寥感。これは肉親を看取る時も強く思いました。いかにして寂しさを和らげてやれるか・・・・・これは本当に難しい問題です。たとえ看取る側がどんなに真剣であっても、寂寥感に襲われている本人ではないからです。ある意味これは生きるか死ぬかの苦難の中にいる人より恵まれている人の方が陥りやすい・・・・・『ナイチンゲール』というお話をご存知ですか。『ボヘミアの天使』ではない小鳥の『ナイチンゲール』です。これは中国のお話です。多分唐の皇帝のお話だった???と思います。


何の不自由もなく家来にかしずかれた皇帝は毎日憂鬱でさびしくてたまらず、その訳も分からず病気になってしまいました。そんな皇帝の窓辺にある日『ナイチンゲール』がやって来て歌を歌いました。すると皇帝は嬉しくなって気分が良くなりました。次の日も次の日も『ナイチンゲール』はやって来て歌を歌いました。皇帝は『ナイチンゲール』を心待ちにするようになり、病気もぐんぐんとよくなりました。すっかり元気になった皇帝は『ナイチンゲール』という心の友を得て『寂しい病』から解放されたのです。そうして過ごす皇帝に、おべっかを使う誰かが『ぜんまい仕掛けのナイチンゲール』を献上しました。

その『ぜんまい仕掛け』は待つこともなく好きな時に何度でも素晴らしい声で歌います。皇帝はすっかり夢中になりました。そして窓辺の友を忘れてしまったのです。するとある日大事件が起こります。その『ぜんまい仕掛け』は歌の途中で、ガチャ!っと大きな音をたてました。それからうんともすんとも言わなくなりました。皇帝は大急ぎで修理を命じましたが、その『ぜんまい仕掛けのナイチンゲール』は壊れてしまって、もう歌うことが出来ません。そして皇帝は自分が友を忘れたことを思い出し後悔するのです。反省の日々を過ごす皇帝の窓にある日昔の友が帰ってきました。皇帝は心から友に詫び友情を取り戻しました。


これは小学3、4年の頃両親が子供達のために取ってくれた講談社の『少年少女世界文学全集』に載っていたお話です。子供心に貴賎貧富の区別なくとりつかれる『さびしい』という感情に興味をひかれて良く覚えています。寂しさは『限界』に対して抱く人間の感情だと思います。そしてそれを通り過ぎることが、ある意味で、人生の目標でもあると思います。詫び寂びはそれを超越した境涯ともいわれますが、そこから『ぜんまい仕掛け』という思い込みをどれくらい排除できるかどうかが、その人生の成績表なのかと思います。そしてまたその力量は他人の寂しさをどれだけ和らげることが出来るかという『ナイチンゲール』度にかかっていると思います。『ボヘミアの天使』ナイチンゲールとつながると感心しています。看護の心は寂しさを癒そうとする心だろうと思います。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!
コメント
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