それは南京事件(?)について、です。この事件については以前は自民党議員の失言(?)としてのみマスコミの攻撃に遭っていましたが、去年の河村名古屋市長、そして昨日の鳩山前総理大臣・・・・・そして日本人全てがこの事件を想念の世界に埋没させつつある状況を心配せずにはおれません。今までとりあげませんでしたが、戦争でなく戦闘という生々しい事態を現実に知っている人間としての父の言葉を残しておこうと思います。
父が私に言い遺したこと、それは第1に中国大陸の戦争における戦闘の末期の実態、第2に松井磐根大将の実像、第3に南京事件の問題化の時期、第4に数の問題の4点です。第1の問題に関しては『便衣兵』について中国大陸での実態と国際法に関して、第2には松井大将が如何に中国古典を愛した立派な人であったかと南京入城に当っていかなる厳しい軍律を課したかということについて、第3にはこの事件が問題として取り上げられたのが両国間の政治的外交問題として終戦以後であったこと、当時のヨーロッパジャーナリストによっても取り上げられたことがなく、それどころか日本軍の模範的振る舞いが称賛されたこと。この3点については調査されればわかることなので、今回は列記するだけにします。
ここで父の言葉として取り上げたいのは第4の数の問題です。父はこう言いました。『500人の兵隊で5000人の捕虜、もしくは敵害者を拘束するのは難しい・・・・』今朝のテレビ番組でドイツの大サッカー場が紹介されていましたが、6万人の観客収容力があるそうです。満員の状況のフィルムが流されましたが、その大人数たるや、父の言葉をしみじみと実感します。東京マラソンの参加人数をご存知ですよね。3万8000人だそうです。あの人数をどうやってコントロールできるでしょうか。父はまたこうも言いました。『500人で5000人を連行するのは怖いんだ・・・・・』
父が可能性として認めた最大数が500人(当時父が把握していた日本兵の数員だったのだろうと思います)で5000人の拘束でした。でもそれはとても難しい・・・・と言いました。そんな切羽詰まった状態で相手だって黙ってやられているはずがない・・・・と。もともと便衣兵が混じっているからこそ、そんな不幸な状況になり得るのだと・・・・・それが日本兵にとってどんなに恐ろしいことだったか・・・・・戦時下では様々な突発事件が起こり得ると思います。でも戦闘の実体験のないものが頭で考えることの危険性を、私達はよくよく念頭に置いて物事を判断すべきです。こういった類の事件があったかもしれません。でもそれがいつからか南京大虐殺になり、いつからか30000人になり、60000人になりました。広島や長崎に投下された原爆の犠牲者数、東京大空襲の犠牲者数を考えてみてください。この実態は正確に調査されるべきだと思います。それを願ってこの記事を書いています。
私達の父祖と中国国共軍と中国大陸に住んでいた人々は実際の戦闘のただ中にあったのです。戦闘員ひとりひとりにはゲームでもなく、それが善悪で判断できることがらでもないのです。判断できたとして一体それが何になるでしょうか。このことを一番実感した青年の一人が、カンボジアで国連平和活動に従事していた中井厚仁青年だろうと思います。彼は手記に残していました。『危険があろうと、それを分かっていようと、決められた仕事をやる』といった趣旨の文章を思い出します。人間とはそんなものです。与えられた場所で生きる以外にありません。そして私達は歴史の不幸に直面した父祖を敬愛の心を持って思い出すべきです。そこで死ななければならなかった人々を敬愛の心を持って思い出すべきです。実際に戦闘をしていた人々が、如何に怖れの心を持っていたか、知るべきです。そしてそれが少なくとも私たち家族のためであったことを知るべきです。そしてその人達がこういったのです。『靖国で会おう』と。言葉を発して誓った約束はもう取り消すことはできません。取り消す手立てがありません。
在京中や上京した時父はいつも靖国神社に詣でて戦友や父祖に参拝し、平戸に戻ってからは思いを馳せ遙拝していました。そんな父の心の中を懐かしくしのびます。私達は愛情を持って父祖の苦難をお慰めすべきです。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!
父が私に言い遺したこと、それは第1に中国大陸の戦争における戦闘の末期の実態、第2に松井磐根大将の実像、第3に南京事件の問題化の時期、第4に数の問題の4点です。第1の問題に関しては『便衣兵』について中国大陸での実態と国際法に関して、第2には松井大将が如何に中国古典を愛した立派な人であったかと南京入城に当っていかなる厳しい軍律を課したかということについて、第3にはこの事件が問題として取り上げられたのが両国間の政治的外交問題として終戦以後であったこと、当時のヨーロッパジャーナリストによっても取り上げられたことがなく、それどころか日本軍の模範的振る舞いが称賛されたこと。この3点については調査されればわかることなので、今回は列記するだけにします。
ここで父の言葉として取り上げたいのは第4の数の問題です。父はこう言いました。『500人の兵隊で5000人の捕虜、もしくは敵害者を拘束するのは難しい・・・・』今朝のテレビ番組でドイツの大サッカー場が紹介されていましたが、6万人の観客収容力があるそうです。満員の状況のフィルムが流されましたが、その大人数たるや、父の言葉をしみじみと実感します。東京マラソンの参加人数をご存知ですよね。3万8000人だそうです。あの人数をどうやってコントロールできるでしょうか。父はまたこうも言いました。『500人で5000人を連行するのは怖いんだ・・・・・』
父が可能性として認めた最大数が500人(当時父が把握していた日本兵の数員だったのだろうと思います)で5000人の拘束でした。でもそれはとても難しい・・・・と言いました。そんな切羽詰まった状態で相手だって黙ってやられているはずがない・・・・と。もともと便衣兵が混じっているからこそ、そんな不幸な状況になり得るのだと・・・・・それが日本兵にとってどんなに恐ろしいことだったか・・・・・戦時下では様々な突発事件が起こり得ると思います。でも戦闘の実体験のないものが頭で考えることの危険性を、私達はよくよく念頭に置いて物事を判断すべきです。こういった類の事件があったかもしれません。でもそれがいつからか南京大虐殺になり、いつからか30000人になり、60000人になりました。広島や長崎に投下された原爆の犠牲者数、東京大空襲の犠牲者数を考えてみてください。この実態は正確に調査されるべきだと思います。それを願ってこの記事を書いています。
私達の父祖と中国国共軍と中国大陸に住んでいた人々は実際の戦闘のただ中にあったのです。戦闘員ひとりひとりにはゲームでもなく、それが善悪で判断できることがらでもないのです。判断できたとして一体それが何になるでしょうか。このことを一番実感した青年の一人が、カンボジアで国連平和活動に従事していた中井厚仁青年だろうと思います。彼は手記に残していました。『危険があろうと、それを分かっていようと、決められた仕事をやる』といった趣旨の文章を思い出します。人間とはそんなものです。与えられた場所で生きる以外にありません。そして私達は歴史の不幸に直面した父祖を敬愛の心を持って思い出すべきです。そこで死ななければならなかった人々を敬愛の心を持って思い出すべきです。実際に戦闘をしていた人々が、如何に怖れの心を持っていたか、知るべきです。そしてそれが少なくとも私たち家族のためであったことを知るべきです。そしてその人達がこういったのです。『靖国で会おう』と。言葉を発して誓った約束はもう取り消すことはできません。取り消す手立てがありません。
在京中や上京した時父はいつも靖国神社に詣でて戦友や父祖に参拝し、平戸に戻ってからは思いを馳せ遙拝していました。そんな父の心の中を懐かしくしのびます。私達は愛情を持って父祖の苦難をお慰めすべきです。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!