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マクロビオティックと商人(アキド)道

2006-03-19 12:48:24 | Weblog
マクロビオティックが普及していくのは大変に嬉しいことですが、ビジネスの臭いを感じるようになってきました.ここで私達がはっきり確認しておかねばならない事は、マクロビオティックは売り物ではないということです.敢えて独断するならば、マクロビオティックは人間の自然であり伝統であると言えます.マクロビオティックに関してその利便性には、ビジネスの余地が十分にありますが、マクロビオティックの知恵を売って儲けることは出来ません.このことは桜沢先生も久司先生も今日まで身を以って示してこられたのですから、私達現代マクロビオティックの徒も良く守らなければならないことだと思います.マクロビオティックの理論もお料理の仕方も、人類の叡智です.誰に属しているものでもありません.それでマクロビオティックの普及活動に従事しているものは、半分ボランティアのようなものだと覚悟すべきです.商人になって利益の追求をしたければ、そこに付随して発生してくる必要に応じるべきです.そして以前にも書きましたが、日本には古来より商人の道というものがあって、その暴走を自ら律したのです.それが出来ないものはマクロビオティックの実践者とはいえないはずです.

私の住む田舎町は日本経済の不況の影響の吹き溜まりみたいなものです.なかなか回復の恩恵には浴しません.大体過疎の地というものは恩恵が有り余るようにならなければ、良い影響も回って来ないものです.そんな土地でマクロビオティックをしようと言ったって、お金がかかるものでは受け入れてもらえません.そんなわけで私の教室は殆んどボランティアというようなものですが、東京の娘の教室も、我が子ながら良くやっていると思います.久司先生が知識を広く分けてこられたように、低料金で良心的にマクロビオティックを教えています.自分の教室の中から講師を育て上げました.昨年の先生のリーダー講習を講師候補にも受けさせています.娘達は久司先生のオープンさをよく受け継いで、マクロビオティックがみんなのものであることを実践していると思います.

娘自慢の親ばかを発表してしまいましたが、どうぞお許しください.そもそも人間は狭義の食べ物のみで生きているのではありません.その証拠が、桜沢先生や久司先生です.第一人間が狭義の食べ物のみで生きているのだとしたら、生まれた土地四里四方からそんなにひょいひょい出歩くことは出来ないのです.その四里四方だって、動物がお腹の中に根とその根のための畑を取り入れたとき、一日がかりで動ける最大範囲なのです.動物は動く植物というか、光の同化能力を持たずに植物を狩ることを選んだ肉食(?)植物――同じ植物を食べるという意味――なのです.だから本来可動範囲はそれ程自由ではないのです.ではなぜ久司先生があんなに世界中を飛びまわれるか?それは先生のお食事の大部分が形のないものだからです.エネルギーそのものを食べていると久司先生のように自由になれます.自由はエネルギーの性質ですから.だから先生もご病気をなさるのです.だってストレスや心配も食べ物なのです.だから私達は釈尊のお弟子のように、先生は少病少悩でおわしますかとお尋ねしなければならないのです.

マクロビオティックで食べ物を完全にしても、また壁にぶつかります.その時は進級試験に受かったと思ってください.でもその頃には、自分で何が足りないのか多すぎるのか整理が付くようになっている筈です.食べ物は人間の身体と同じで土台です.そこが始まりですから、皆で何とか助け合って行きたいものです.
コメント (2)
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