千体から放つかすかな微笑
どの表情みても十色
美しくも神々しい
ただただ手をあわすのみ
A faint smile from a thousand bodies
Every look is different
Beautiful and divine
Just squeeze my hands
千体から放つかすかな微笑
どの表情みても十色
美しくも神々しい
ただただ手をあわすのみ
A faint smile from a thousand bodies
Every look is different
Beautiful and divine
Just squeeze my hands
ネット情報から風神雷神像のこぼれ話を見つけたので紹介したいと思う。
風神雷神は、前回の記事で書いたがあまりにも俵屋宗達の屏風図のイメージが強いので、本来の仏像の姿形が見えづらくなっている。
その風神雷神像は、名の通り風神が風を、雷神が雷をつかさどり、仏法を護る神として、また豊穣や福徳を授かる神とされている。仏教では悪を懲らしめ、善を勧めて暴風や雷を整える神として信仰されている。国宝として蓮華王院の本堂(三十三間堂)の千手観音の両サイドに安置され、千体の千手観音を護り続けている。
前回紹介した三十三間堂の風神雷神像以外にも、全国の寺院を護り続けている風神雷神像のいくつかをネット資料をもとに紹介する。
実際に見た人も、TVを通してご存じの方も多い、東京の浅草寺の「雷門」。浅草寺の総門は、最初は駒形付近にあったが、鎌倉時代になって現在地に移転。その時に風神雷神像が祀られた。雷門は正しくは「風雷神門」という。現在の風神雷神像は、江戸時代に焼失を免れた頭部に明治時代になって身体を補刻した像が引き継がれている。
そして栃木県日光市にある、三代将軍徳川家光が祀られている世界遺産の「輪王寺大猷院(りんのうじ たいゆういん)」の二天門に珍しい風神雷神像安置されている。風神は、手の指が4本しかなく東西南北を現し、雷神は、手の指が3本で過去、現在、未来を、足の指が2本で天、地を現しているといわれ特徴のある風神雷神像として知られている。
愛知県碧南市の志貴毘沙門天「妙法寺」 の風神雷神像は陶製で山門の横に安置されている。
栃木県宇都宮市の「多気山不動明王堂」の風神雷神像は石造でユニークな姿形の像。
東京都目黒区の「東光寺 」の風神雷神像は本堂の左右に設置された石造の像
東京都北区の「金剛寺」の風神雷神像は石造で、1710年の作造とされ、他の像とは一味異なる姿形をしいる。
東京都三鷹市の「神龍山開宮寺井口院 」の風神雷神像は、ブロンズ像である。
埼玉県比企郡の「都幾山慈光寺観音堂」の風神雷神は、観音堂外陣の欄間彫刻として残されている。
風神雷神像は、文字通り風と雷の神様なので、姿形にすると当然ながら風袋をもった風神姿、一方、太鼓をもつ雷神の形になる。その姿形を、江戸期の絵師 俵屋宗達が日本美術史に残る姿にした。
全国各地にはまだまた風神雷神像は存在すると思うが、ご存じの方はご報告いただければ幸である。
「風神雷神」といえば、誰しもが思うのが俵屋宗達の絵。
京都・建仁寺の所有の国宝(京都国立博物館所蔵)として知られているのは言うまでもない。
世に示された宗達の「風神雷神図」は江戸期に描かれたもので、
その図の原型といわれるものは、当然ながら仏像である。
例えば、誰もが知る浅草寺の雷門には、その風神雷神像がある。
リポート & 写真 / 渡邉雄二 トップ写真(蓮華院の風神雷神像) / 蓮華王院のネット画像を転用
2月15日。
満月の夜、クシナガラ郊外の沙羅双樹に横たわり
臨終迎えたお釈迦様の命日である。
お釈迦さんが亡くなったことを
「涅槃(ねはん)」という。
釈迦像を本尊とする寺院では涅槃図を掲げ、
お釈迦様の遺徳を偲ぶ法要
「涅槃会(ねはんえ)」が随所で行われている。
昨日、大阪府池田市にある佛日寺では、
コロナ禍の非常事態宣言発令による自粛で
三密をさけるため簡略化し開催された。
まず涅槃図を前に手を合わせ、
涅槃図に描かれている、
沙羅双樹に囲まれ横たわるお釈迦様と、
護法善神、菩薩、そして数多くの動物などとの
関りについて解説いただいた。
涅槃図は、お釈迦様と繋がりをもつ
すべての生きとし生ける人や動物が
お釈迦様に寄り添い悲しんでいる姿が描かれている。
そこにはそれぞれのお釈迦様とのストーリーが秘められているようだ。
佛日寺のこの涅槃図は、
平成30年に修復されたものである。
高さ3.8m、幅3.2mあり、
池田市にあるものでは最大級の大きさのものである。
江戸時代に佛日寺に寄贈された貴重な涅槃図。
左右には紺地に金泥で文字が書かれ、
他に類を見ない大変珍しいものである。
「以心伝心」「暗黙の了解」という言葉は、とくに日本人には普遍的な人間の現象として認識され理解されている。いま風にいうなら、非言語コミュニケーションスタイルかもしれない。信頼関係があるなら “言わなくても分かる” という風潮である。それが脈々と日本人の心の伝承文化として定着してきた。
それが、二体一対の金剛力士像(仁王像)で阿形と吽形という形で表現され、「阿吽の呼吸」として根付き多くの場面で生かされているのは言うまでもない。
今回は、数年前に訪ねた神戸の二つのお寺の金剛力士像を紹介する。北区の岩嶺山の山麓に、真言密教の修行道場の「石峯寺(しゃくぶじ)」と、須磨区にある「須磨寺(すまでら)」。
石峯寺は、651年にインドの僧により開基された。山麓丘陵地に伽藍を建立され、その当時は、東西二里、南北一里に70余の建物があり一山寺院が形成されていたようだ。
その仁王門に、歴史を感じさせる仁王像が安置されている。補修された形跡が随所にあり、また色が微かに残る程度で古さを感じさせる。拳を握る「阿像」と掌を広げる「吽像」が象徴的に造られている。
一方、須磨寺の仁王像は「阿像」がしっかりと手に握りしめる金剛杵がよく目立っている。ちなみに造像は、運慶と湛慶(運慶の子/ たんけい)の作と伝えられている。