前2回の稽古では「赤壁賦」を学んだ。
前々回は、お軸にある「前赤壁賦」の一文 ”撃空明兮泝流光”を抜き出して想い巡らした。
前回は、前赤壁賦の一遍である前段を通して作者である蘇軾の心情を探った。
下段にある、その一遍が原文である。
壬戌之秋七月既望蘇子與客泛舟遊於赤壁之下淸風徐來水波不興擧酒屬客誦明月之詩歌窈窕之章少焉月出於東山之上徘徊於斗牛之閒白露横江水光接天縱一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙於是飲酒樂甚扣舷而歌之歌曰桂櫂兮蘭槳撃空明兮泝流光渺渺兮予懷望美人兮天
蘇軾の心情を要約してみると、
1082年秋、旧暦七月十六日の夜に、
客を伴い、赤壁の下で名月に乗じ舟遊びをする。
三國の英雄 曹操や周瑜の風流を偲び、蘇軾自身がはかない流人の身であることを嘆く。
この無限の赤壁の前では、古人も我も何らかわらない、儚いものであり、万物同一であることを悟り、名月と江上(長江河畔)の清風を楽しみ憂いを忘れた。
ということである。
歴史に残る名文は名文として、蘇軾の想いを詠みとるのもいいものだが、お軸にある一文を取りだし、現代の事象を想い訳すのも楽しみ遊びである。
夜空に上がる花火が水面(みずも)に映る。それを舟から眺めるのも風流である。


前々回は、お軸にある「前赤壁賦」の一文 ”撃空明兮泝流光”を抜き出して想い巡らした。
前回は、前赤壁賦の一遍である前段を通して作者である蘇軾の心情を探った。
下段にある、その一遍が原文である。
壬戌之秋七月既望蘇子與客泛舟遊於赤壁之下淸風徐來水波不興擧酒屬客誦明月之詩歌窈窕之章少焉月出於東山之上徘徊於斗牛之閒白露横江水光接天縱一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙於是飲酒樂甚扣舷而歌之歌曰桂櫂兮蘭槳撃空明兮泝流光渺渺兮予懷望美人兮天
蘇軾の心情を要約してみると、
1082年秋、旧暦七月十六日の夜に、
客を伴い、赤壁の下で名月に乗じ舟遊びをする。
三國の英雄 曹操や周瑜の風流を偲び、蘇軾自身がはかない流人の身であることを嘆く。
この無限の赤壁の前では、古人も我も何らかわらない、儚いものであり、万物同一であることを悟り、名月と江上(長江河畔)の清風を楽しみ憂いを忘れた。
ということである。
歴史に残る名文は名文として、蘇軾の想いを詠みとるのもいいものだが、お軸にある一文を取りだし、現代の事象を想い訳すのも楽しみ遊びである。
夜空に上がる花火が水面(みずも)に映る。それを舟から眺めるのも風流である。

