横浜の夜を過ごすなら「中華街」というのは定番であるが、コロナ騒動で中華街の夜は閑古鳥が鳴いていたと聞く。緊急事態宣言が解除され、徐々にお客は戻りつつあるようだという。
3年前の話であるが、ちょうどこの時期に出張で横浜に行った。たまたまホテルが中華街の近くということもあり、時間を見つけ散策した。過去に行ったことの記憶はあるが、それがいつだったか覚えていない。ただ記憶に残っていた唯一の建造物が「関帝廟(かんていびょう)」だった。この廟(寺院)は、三国志で有名な関羽が祀られている。
日本が開国され横浜の港が開かれたのは、ご承知のとおり幕末の1859年。多くの外国人が横浜を訪れ、居留地をつくり暮らすようになった。その中のひとりの中国人が関羽の木像を抱いて、現在の地に祠を開いたのが関帝廟の始まりだとされている。
歳月を経て、1990年に、中国の伝統建築技法を駆使し建造されたのが、現在の第四代関帝廟。このきらびやかさは中華街の中でもひときわ目立った存在である。
なぜ、あの三国志の関羽が祀られているのか? これに疑問を持つのは私だけではないと思う。関羽はご承知のとおり、信義や義侠心に厚い武将であるのは三国志を読まれた方は同意されるはず。ウィキペディアによると、民衆によってさまざまな伝承や信仰がうまれ王朝が関羽を神格化したと。さらに、関羽は塩の販売に関わっていたという言い伝えがあり、その商売に欠かせないそろばんを発明したという俗説までが生まれた。そのために世界中に散らばっている華僑の商売繁昌の神として祀られているということらしい。
とにかく見てのとおり、牌楼の門をはじめ本殿、さらには本殿の屋根の龍などには中国伝統技法による細かな木彫に鮮やかな色や金箔が施されている。とくに本殿内の装飾品や天井、壁面等々には見るも鮮やかな極彩色で宇宙が表現されている。
訪ねたときは閉院10分前だったが、外にある大きな香炉からは線香を焚いた煙がもくもくと上がっていた。驚いたことに、匂いがない。地域のことを考慮しての匂いなしの線香かな、と。
横浜は、港のある景色、居留地、近代建築物などなど見応えのあるスポットも多いが、この中華街の景色に改めて圧倒され、中国建造物の趣にあらためて関心を寄せている。再度、ゆっくりこの地を歩いてみたいと思っている。
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