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お茶のあてに、伝説の美女「西施」を語る。

2020-06-18 15:40:55 | 雑感

中国の歴史上の四大美女をご存じだろうか。伝説として今に伝えられているのだからよほど美しかったのだろう。その4人とは、春秋戦国時代の「西施(せいし)」、前漢の「王昭君(おうしょうくん)」、後漢の「貂蝉(ちょうせん)」、そして唐の「楊貴妃(ようきひ)」である。

中国のお茶の歴史を紐解いていく中で、中国春秋時代の話になると必ずと言っていいほど話題に上る美女がいる。「西施」である。その4人の中で最もよく知られているのが、唐代の皇妃、楊貴妃。そして墨画に劣勢の美女としてよく描かれているのが「西施」。この美女がお茶をこよなく愛したということから、当時の文人たちの話題に上り、墨画の題材によくなっていたとう伝えがある。
何度か「西施」の墨や絵の具で描かれたのを見たことがある。ましていまではネット上に美しい西施の絵が山ほどアップされ、どれが本物に近いかは全く分からない。ただ、どれも美しく描かれている。(その二枚を転用させていただいている)

 

その西施には、いくつかの伝説がある。その一つに、四文字熟語の ”呉越同舟” の熟語の成り立ちになったとされる呉と越の戦いで、西施が「秘密兵器」としつ活躍したという伝説がある。いまでいう”ハニートラップ”役である。
越のハニートラップとして、呉王の妾になり王を骨抜きにせよ、と大指令を受け呉の弱体化を図った。それが理由なのかどうか分からないが、呉は紀元前473年に滅びた。
こんなストーリーが真しやかに言い伝えられている。それほど”伝説の美人”だったということになる。だから、いまでも墨画の題材には最高の美女モチーフになるのだろう。

日本でも、松尾芭蕉が「奥の細道で「象潟や雨に西施がねぶの花(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)」と詠んでいる。奥の細道では、芭蕉が松島を明るい美人に例え、一方、象潟は憂いに沈んでいる美女を西施に例えた句碑が立てられている。西施が顔をしかめても、そのしかめ面を女性が真似たほど美しい、という句である。

 

煎茶の席で、こんな故事噺を茶のあてにしながら語るのも乙なものである。


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