彦根市に龍潭寺という寺院がある。1600年に井伊直政が佐和山城(現・彦根市)主となった際に、静岡県浜松市にある井伊家の菩提寺である龍潭寺を分寺して建立された。それ以来、彦根の龍潭寺は井伊家の菩提寺になっている。 佐和山城主は、彦根藩の藩主だけでなく過去には石田三成が居城としていたという歴史のある城である。
龍潭寺のだるまさん
その龍潭寺は「だるま寺」との異名をもっている。ご承知のとおり「達磨(だるま)大師」は禅寺を開祖。それにより「だるま」は禅寺と深く関わっている。手足がないので自由が利かないが、「だるま」は、壁のように動ぜぬ境地で真理を観る、という禅の概念に通じるものとして、龍潭寺では「だるま」が真理の対象物として崇めている。
写真にあるように「だるま」というと赤くて丸いあの形。その昔、どこの家にも一体はあったと言っても過言ではない。願掛けの欠かせない置物として試験や勝負ごとの「必勝祈願だるま」として重宝されていた。他にも商売繁盛や開運招福などの願いが込められていた。
だるまさんは新しく買ったら左目(向かい合って右側)に目をまず入れ、願いが叶ったらもう片方に目を入れる。選挙の時に当選した議員がテレビで片目を入れるのはよくTVで見たことがある。
子供の遊びにもよくだるまさんは登場した。「だるまさんがころんだ」や「にらめっこ」遊びなど、私たちは小さな頃からだるまと関わり馴染深い玩具だった。
そんなエピソードの多い、親しみのあるだるまさんを仏画曼陀羅アート教室では描いている。雪舟が室町時代に描いた「慧可断臂図」をはじめ、白隠禅師の達磨図、そして多くのすぐれた絵師が描いた達磨図を模写することからスタート。見本の中から描きたい図を選びチャレンジしていく。仏画と違ってだるまさんは肖像画として曲線によって表情が創られていく。線から命が生まれてくるようにも思えてくる。同じ見本でも描くたびにそれぞれの一枚一枚が違った表情になる。どの一枚を選ぶかは、描き手の、その時の想いに図られる。
箕面教室の皆さんの達磨図
リポート&写真/ 渡邉雄二 達磨図制作/ 仏画曼陀羅アート箕面教室の皆さん
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/
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