「漢詩」は想像力を養うのによき題材だと書いたことがある。読み解いていくルールを無視して、意味が分かる漢字のみを拾い上げていく。それらを結び付けていくと、何となく時季や場所、そして風景などが見えてくることがある。これらを頼りに想像力を働かせると、漢詩の本来の意味とは違っても、新しい世界が広がり楽しいものである。
一枚の写真を見て文章を作成するのも、文字を読んで一枚の写真を撮るのも想像力が試される。そこには、作者の新しいストリーが自然と生まれてくるように思う。
中国古典では、"竹"や"月"を題材にした俳諧は多い。それを題材にするようになったのは、中国 唐の時代に画家であり詩人であり政治家であった“王維(おうい)”の自然詩の影響が大きいといっても過言ではない。
王維の詩の中でも「竹里館(ちくりかん)」は、その代表的なものであり、日本の国語の教科書に紹介されていたくらい有名な五言絶句の詩である。その「竹里館」を紐解いていくと自然詩の情感や情景が見えてくる。
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
解りやすく説明すると
ただ一人で奥深い竹やぶの中に坐って、
琴を弾いたり、詩を吟じたりしている。
この竹林の中の趣は、世間の人は誰も知らないけれども、
天上の明月だけはやって来て、私を照らしてくれる。
という意味になるようだ。
王維の自然詩は “詩中に画あり” といわれる作風が多い。詩を読むだけで画が浮かんでくるといわれ、俳諧の創作手本になっている。また、 “画中に詩あり” という逆もいえる。
王維は自分の世界観をこの短い詩の中で表現している。それが後世に残る詩となっていまに伝え継がれている。
この情感が素直に理解できるのはいつのことなのだろう。固定概念を払拭することからはじめなければならないかもしれない。
リポート&写真/ 渡邉雄二 写真/ 中国語スクリプトより転載
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/
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