この建物がなんであるか、写真だけではわかりにくい。かなり年代物の建物であることは想像がつく。
これらは「農村歌舞伎舞台」と称されるものである。しかしながら、農村歌舞伎舞台っていわれてもピンとこない。
江戸時代末期から明治かけて大盛況を呈した村芝居の舞台である。当時、全国に2千棟ほどあったといわれている。現在でも1千棟が保存され、その中でも兵庫県には170棟がある。とくに北神戸地域のものは文化財として保存されている。
江戸時代末、1841年から始まった天保の改革の風俗粛清の影響で閉鎖された大阪の芝居小屋の浄瑠璃太夫や人形遣いが大阪を逃れ、この地に流れ込んだ。それを機会に農村舞台での歌舞伎、浄瑠璃、文楽や芝居などが盛んに行われるようになったようだ。
兵庫県にある中でも写真にあるこの二つは非常に特徴があり、数年ごとにいまでも農村歌舞伎が行われている。
北僧尾農村歌舞伎舞台は、江戸末期から明治にかけ非常に人気のあった舞台の一つ。全国に現存する舞台の中でももっとも古いといわれている。
一般的には、舞台は神社境内に建てられことがほとんどで、祭事の奉納芸能として盛んだった。
写真にあるように、舞台と長床(宮座行事を行う建物)を併用した形で造られている。
正面右端上部に突出部が見える。「チョボ床」といって義太夫や三味線の座である。
正面下部にある横板は「バッタリ」といわれ平素は雨戸であるが、舞台上演の際は前に倒し舞台を広くするようにしている。
もう一つは、下谷上農村歌舞伎舞台。この舞台は数多くの特徴がある。花道、太夫座、回り舞台、二重台、大せり、ぶどう棚など多種の舞台機構がある。そしてもっとも特徴があったのが、全国唯一の、花道の一部が回転して反り橋が出るという特殊機構が備わっている。当時の農村舞台としては大変珍しかったようだ。
全国屈指の歌舞伎舞台として、国指定重要有形民俗文化財に指定されている。
聞くところによると、全国に点在する歌舞伎舞台で上演する出し物は、地域によって特有の風俗を表現したものが多かったようである。代表的なものが秋田の「なまはげ祭り」も農村歌舞伎の名残りのようである。