ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

歴史と自然が調和された優美さ、名勝「好古園」

2020-10-13 17:30:13 | 日本の美

姫路城は、ご承知の通り世界遺産・国宝として国内外に知られ、訪れる観光客の多さでその知名度の高さが伺える。

その姫路城に隣接している名勝「好古園」は訪れる人たちの目を楽しませてくれる。
庭園は、9つの大小庭園と樹林帯や広場で構成され、築地塀・屋敷門・長屋門や渡り廊下で結んだ

「活水軒」「潮音斎」をはじめ、本格的な数寄屋建築の茶室「双樹庵」などがある。

水の流れで結ばれた国内屈指の池泉回遊式庭園で、とくに晩秋は見どころ満載。

渡り廊下から眺める紅葉は、燦然とした絵巻物のような風景である。

そして最大の特徴は世界遺産・国宝姫路城を借景として楽しめる。

歴史と自然がみごとに調和され、優美な景観をつくり上げている。

播磨地域にお出かけの折は、ぜひ、姫路城と好古園をご堪能くださいませ。

 

※2017年に訪れた折に撮影、書き残した雑感記事

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官兵衛から中村陸軍大佐まで、姫路城歴史秘話ヒストリア。 

2020-10-12 14:32:37 | 歴史建造物

5年半をかけて大天守保存修理工事が終わり、新生・姫路城(白鷺城)が姿を現したのが2016年の春。その一年前、NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」が放映され、官兵衛の生まれ故郷である姫路や播磨地域が一気に注目を集めるようになり、翌年の姫路城再生オープンへと繋がった。見事に仕組まれたメディア、地域熱、そして再生への流れが功を奏し、姫路城は連日行列が続いた。

「軍師 官兵衛」さんのお陰で、姫路城に関心をもった方たちも多いことだろう。私もその一人である。訪れた際に、城内で戦国時代の歴史ヒストリアとは少し異質な石碑を見つけた。石碑には「陸軍省 中村重遠大佐」と刻まれていた。
後で調べてみると、姫路城が存続しているのは、この中村大佐のお陰のようである。1878年、神戸清一郎が姫路城を手放すにあたり、中村重遠陸軍大佐が、陸軍卿 山県有朋に姫路城の存続を申し出たことによって存続することになったという秘話ヒストリアである。
(資料には、1871年に神戸清一郎氏が姫路藩の姫路城競売により23円50銭で落札したと記されてあった。)

1346年、赤松貞範が姫山に砦を築いたのが姫路城のはじまりのようである。そして大河ドラマ「軍師 官兵衛」にあったように1567年に黒田孝高(官兵衛)が家督を継ぎ、1580年に官兵衛は秀吉に姫路城を献じた。
築城から670年の時を刻んだ姫路城。これからさらに歴史はどう刻まれていくのだろう。なにも変わらなく、平安の世のシンボルとして後世に残っていくことが誰もの願いである。

この記事は、2016年掲載したものに少し加筆した。

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「能勢人形浄瑠璃」が能勢町のブランドに、町を支える礎に。

2020-10-11 15:24:00 | 伝統文化

古い話であるが、ある研究機関が自治体や半官半民の企業の方たちとの月に一度の勉強会に誘いを受け少し話をしたことがある。テーマが「地域に息づく伝統文化」という内容だった。その話の骨子が、地域の柱になりつつある伝統文化として話題を集めた「能勢の浄瑠璃」についてであった。

「能勢の浄瑠少し璃」は、大阪府豊能郡能勢町に伝わる、約200年以上の歴史をもつ伝承芸能である。もともとは素浄瑠璃として太棹三味線と太夫の語りによって物語が伝えられ、江戸時代のお座敷芸として賑わっていた芸能の一つ。                 

それを次の世代に受け継がれていく新たなチャレンジとして、1998年に新しく人形が加わり「能勢人形浄瑠璃」としてスタートした。それは「文楽」という伝統芸能というジャンルになるが、地域に根づく地域の大切な宝物として伝え継ぐためには地域色が大事なカギになっていく。通称の文楽とは少し異なものになるが、地域の伝承芸能として守り継いでいくためには地域色をだすことが求められる。そのために演目を「能勢三番叟」「風神雷神」「名月乗桂木」など能勢ゆかりの物語に特化して演じている。

                                                                       2006年10月に能勢町制施行50周年を機に、「能勢人形浄瑠璃鹿角座(ろっかくざ)」として劇団の旗揚げとなった。それの少し前に人形浄瑠璃のホームグランド「淨るシアター」も建てられ伝承していく施設基盤ができた。それは観光の目玉として、また能勢町のこれからを支えるブランドに成長する礎になる。                  

浄瑠璃シアターの館長でプロデューサーの松田氏とそれを支える黒衣隊(くろこたい)の代表で三味線弾きの岡田氏の熱い解説に心が動く。この人形浄瑠璃を支える人たちはすべて地元のおじさん、おばさん、そして子供たち。農業の傍ら、仕事をしながら地元の芸能を支えている。地元の人々のエネルギーが何よりも肝心なことになる。

町を支えている原動力、つまり人や自然、そして伝統文化が今も脈々と生き続けている。
このエネルギーが伝統を継承し、お客様を呼ぶツーリズムへ、そしてビジネスへと実を結んでいく。令和の時代に入り、引き継ぐ次の世代が大きな原動力になりつつあるようだ。淡路島の人形浄瑠璃同様に、地域の文化がいつまでも輝いてほしいと願っている。

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京都 今宮神社門前のあぶり餅、郷愁を誘う。

2020-10-08 16:00:59 | 伝統食

京都市北区にある今宮神社の門前の参道に店を構える有名な「あぶり餅屋」さんがある。門前道を挟んで2軒とも見てのとおり長い行列ができている。

北側は、1000年以上も続く日本最古の和菓子屋さんと言われる「一文字屋和輔(一和)」。そして南側のお店は「本家 根元かざりや」さん。とくに一和さんは、長い歴史の中でいろんな伝説やエピソードが伝え継がれているお店で有名である。

さて、あぶり餅といってもご存知ない方に、店で聞きかじった話をすると、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあとに白味噌のタレをぬった、いたってシンプルな餅菓子。そのあぶり餅で使われる竹串が、今宮神社に奉納された斎串(いぐし)を使っていることから病気・厄除けの御利益があるとされ、わざわざ遠方からも食べにくる人気ぶりのようである。

この餅菓子にこれだけの人が並ぶ。餅の風味や御利益以外に、両店ともに昔の茶店風にアレンジされているのも惹きつける理由だろう。店先でお茶と餅をいただく。日本人の心の郷愁を誘うのかもしれない。

ちなみに、一和さんの店の屋根に守神の龍の如く這う松は、それは、それは見事なもである。

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人生を味わう茶になろうとは!? 【一茶庵 煎茶入門講座Ⅲ】

2020-10-07 13:38:19 | 文化想造塾「煎茶」

煎茶を楽しんでいただこうと2カ月で3回、「煎茶講座入門」を開催。

一回目が「自分だけの茶」、二回目が「あなたと一緒の茶」、そして3回目が「人生を味わう茶」がテーマだった。通して教えていただいたことは、煎茶の作法や所作ではなく “文人が愛した煎茶” 概論を玉露の味を通し体感させていただいた。

夏目漱石にして"喉にくだるべき液は一滴もない"と煎茶を例えた名言がある。その言葉の意味が、この講座でほんの少しわかったような気がする。文人煎茶は喉の渇きを潤すものではない。一煎ごとに味の感想を、"甘い"、"渋い"、"苦い"、"重い"、"軽い"、 “まろやか” などで表現した。
昔の文人、詩人は、一煎ごとに感じた思いを言葉で表現することを楽しんだように、講座入門で同じような体験をさせていただいた。一煎目で甘味を「興奮を潤す」。二煎目では苦味を「独門を破る」とした。三煎目は渋味を「経汗に発する」などと表した。心の想いを比喩的表現で伝えるおもしろさを教えていただいた。

煎茶を通して、書斎の文化を楽しみ、そしてその周辺の設えやお軸などからは文字や絵の奥深さを感じた。部屋にいながらにして自然を感じ、山に、海にいるかのような気分になる。そして風も感じ季節を見ることができた。
講座を通して不思議な体感をした。なにも知らない私たちを心地よい気持ちにさせていただいた。煎茶の魔法をかけられたようである。

※十数年前に開催した講座のときの感想記事である。この講座をキッカケに煎茶を習い始めた。

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