ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

自然が暮らしのお手本-「摘み菜がごちそう」 <伝統料理を楽しむⅡ>

2021-05-17 15:45:20 | 伝統食文化

伝統料理を楽しむ講習会「手打ちそば」に続いて、今回紹介するのは「摘み菜」。

摘み菜といっても、ピンくる方は少ないかもしれない。

簡単にいうなら、公園などに生える草や木の実を摘んで食べることである。

いまの時代に草や木の実を食べるのはあまり考えられない。

私が子供のころでは山や野っ原が遊び場で、山ではざくろやあけびなどを見つけてはよく口にしていた。

また野っ原ではゼンマイやツクシなどをとっては夕食のおかずになっていた。

それは半世紀以上前の話であるが、その当時よりももっと原始的なのが「摘み菜」。

それも我々の身近にある公園で草や木の実を摘んで食べようという体験会である。

田舎に育ったことで自然と戯れることも多少なりとも知っていることから

関心をもちチャレンジすることにした。さらに、漠然とであるが大切なことが学べるような気がした。

それはライフワークにしている伝統文化の知恵と工夫が、

この「摘み菜」にもいっぱい詰まっているような気がしている。

暮らしにおいて食は当然欠かせないものだが、摘み菜でほんの少し自然の営みのようなものを体で

感じられるような気もする。摘み菜がごちそうと思えたら最高である。

 

素朴な疑問から摘み菜に興味をもちスタートした。

摘み菜を実践伝承しておられる平谷けいこ先生から「摘み菜とは、珍しいこと、特別なことでないです。

街の中でも野山でも、身近に生えている、食べられる草や木の“菜”を摘む、

そして摘んだ菜を料理して食べることです」と。

先生から話を聞いて楽しそう、と思ったのが摘み菜へのはじめの一歩だった。

どこにでも身近にある草や木の菜を食べることに興味を覚えた。

まさに生きる知恵であり暮らしの知恵である。

私が、ひとつ覚えのように言い続けている"伝統文化の知恵と工夫をいまの暮らしに"

というテーマに合致したものだった。

食べることを通して、いまの暮らしを少し豊かにしていくことが可能なら素晴らしい活動になるはずである。

 

 

原始的であるが、心豊かな活動である。平谷先生は摘み菜伝承講座として、

摘み菜を楽しく安全に摘む、摘み菜料理を創意工夫する、摘み菜を広く伝える、

という目的で活動されている。こういう活動が大切であると思える時代になっているような気がする。

そうすることで暮らしの本来の豊かさが見えてくる。

そのお手伝いの一環でライブインテリジェンスアカデミーも実践講座をさせていただくことに。

 

この記事は、2008年10月に「心と体のなごみブログ」に掲載したもの。それをリライトし転載。

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これぞ、プロの技!! そば道、と言われる所以の一端を知る

2021-05-16 14:18:35 | 食文化

十数年前に、日本の家庭料理や家の食卓に出される料理のなかで、

ほんの少しこだわりをもつ伝統料理を楽しむ講習会を開催していた。

日本の風土や文化で育まれた食材やメニュー、そして味を再認識し楽しもうという企画だった。

それを記した内容を少しリライトし再掲載していく予定である。

 

その第一弾が「手打ち蕎麦」。

そば打ちで、十割そばや八割、七割蕎麦など配合いかんに問わず、

そばの出来ばえの良し悪しは粉を混ぜ合わせるときに入れる水量で決まるという。

どの位水を入れるかは色やはだ触りで決める。これも職人の技。粉の種類や量、

配合によっても水の量が異なる。これも経験がモノをいう。

 

手打ちそば講習会でそば打ちの奥の深さを体感。参加された方たちも初めて。私も初体験である。
植田塾は手打ちそば道場として開講されている塾である。

その塾長さんが、まず粉をかき混ぜ、そして手のひらでこねて麺棒で延ばし、

麺切り包丁でマッチ棒角くらいに切り、出来上がりまでを丁寧に解説しながら実演していただいた。
そしてその工程のすべてを参加者全員が行った。

塾長と講師の方に手取り足取り手伝っていただきながら、そば打ちの体験をさせていただいた。

植田塾長の冗談を交えたトークが作業をさらに楽しくさせる。このトークはおばちゃんに大うけ。

おばちゃんたちも突っ込みを入れる大阪ならではのそば打ち体験になった。

 

 

手打ちそばの行程を見ていると、安易にいうなら誰でもができる作業である。

粉をこねて、平たく伸ばし、包丁で切る。大きく分けるとこの作業である。

誰でもできるこの作業で、まして調味料で味を調えるわけでもないのに、

プロの方との味が大きく違うのも不思議である。何事にも通じることだが、やはりまず「基本」である。

この基本にマスターした上で、それぞれの感性や感覚そして心が備わらないと、

美味いそばはできないということを教えていただいた講習会だった。

 

最後に塾長が打ったそばを試食した。我々が打ったのは持ち帰り、その夜食べて驚く。こんなにも違うものか、と。

 

 

この記事は、2008年11月「心と体のなごみぶろぐ」に掲載されたものをリライトし転載。

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国の伝統工芸品である三木の五大金物

2021-05-13 15:15:53 | 伝統文化

兵庫県三木市と言えば、”播州の打刃物(主に大工道具類)の金物”の町として知られている。大

工道具の中でも、とくに三木の五大金物として、鉋(かんな)、鑿(のみ)、鋸(のこぎり)、

鏝(こて)、小刀(こがたな)は国の伝統工芸品に指定されている。

全国でも古式鍛錬打刃物をつくる鍛冶職人さんは極めて少ないといわれている。

なかでも「伝統工芸士」と言われ方は貴重な存在である。

三木市の道の駅の二階に常設展示の中の鉋コーナーには、

伝統工芸士の今井重信さんの鍛錬された極めつけの逸品があった。

寸八(24.2㎝)の鉋が、21万円代の値がついていた。



子供のときに家屋新築の現場で大工仕事に興味があったのかよく眺めていた記憶がある。

大工さんの鉋削りや鑿使い、墨壷で線を引き鋸でいとも簡単に切っている姿がカッコいいと思ったのを記憶している。

いまの時代の大工さんの仕事現場は知らないが、たぶん鉋削りをして姿はないのではと思う。

柱用の角材は、事前に決まった寸法に削られた角材を持ち込みはめ込むだけのようである。

職人仕事では、鉋や鑿は無用の長物になっているのではないだろうか。



いまの職人仕事はスピーディに、そして合理的に進めていくのが求められている。

致し方ないが、職人の技や感などの技能は活かされないのが現実のような気がする。

木材の適材適所を知り尽くし、1ミリ、1秒、1gを活かす技や道具は、

機械やコンピュータにも負けないはずである。

そんな匠の技が必要とされる時代がまた来ると道具を見ながら思った。

これからの時代に新たな価値を創造するための必要な道具として使われる存在になってほしいものである。

 

※この記事は2017年7月の「心と体のなごみブログ」に掲載されたものをリライトし転載

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淡海の護り本尊「浮御堂」の風景

2021-05-12 16:08:48 | 文化想造塾「神社仏閣」

この度は湖西を訪ねた。琵琶湖大橋を渡り堅田方面へ数キロ走ると湖上に建つ浮御堂が見えてくる。

堅田地域の湖岸は、風光明媚なところとして人気の観光スポットである。

 

歌川広重の「堅田の落雁」は近江八景の一つとして描かれている。

その画にあるように、湖上に突き出ている「浮御堂」が目をひく。

ちなみに堅田の落雁とは、浮御堂付近の湖上に雁の群れが舞い降りる情景のことをいう。

 

浮御堂は、平安時代に海門山満月寺の本堂として建立された。

いまは湖畔に沈む夕陽をバックに写る浮御堂は幽玄の世界のように映る。

では、浮御堂がなぜ、この淡海の湖畔に建立されたのかを調べてみると、

日本の浄土教の祖と称される源信大師が比叡山横川から琵琶湖をながめていると、

毎夜、その光明を怪しみ、網でこれをすくうと、1寸8分(5.5㎝弱)の黄金の阿弥陀仏像であった。

新たな阿弥陀仏像を造り、その体内に光明輝く仏像を納めた。

さらに1000体の阿弥陀仏像を造り奉安するために浮御堂を創建したという。

そして、湖畔に建つ浮御堂は「千仏閣」「千体仏堂」と称し、

湖上通船の安全や魚類殺生供養するお堂として現在に至っている。

 

風景絶佳の趣のある地としてとどろき、古くより一休和尚、蓮如上人が滞在し、

また松尾芭蕉や小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、多くの詩歌、絵画を残している。

芭蕉は中秋の名月の翌日に詠んだとされる「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」の句は、

芭蕉が湖上舟から十六夜の月を賞し、浮御堂内の阿弥陀千体仏が月に輝く光景を想像して詠んでいる。

また、阿波野青畝が詠んだ句「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂」は境内にある石碑に残され、

五月雨に濡れた浮御堂の美しさを刻んでいる。

 

湖畔に浮かぶかのような御堂とその周辺の景観は淡海の財産である。

歴史と文化に育まれ多くの人を魅了している浮御堂は現在、日本遺産に認定されている。

 

※この記事は2018年4月「心と体のなごみブログ」に掲載されたものをリライトし転載。

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形を変え次の世代に。 そのためには作家の力が必要

2021-05-11 14:54:00 | 伝統文化

煎茶稽古には欠かせない教科書として掛軸がある。

掛軸には画や文字(賛)が描かれている。画なら水墨画、南画、日本画など、文字では毛筆字など。

それらを包み衣装として形成され作品に仕立てるのが表装(表具・軸装)である。

 

軸装作家として活躍されている辻めぐみさんの作業場である神戸 KllTOに伺った。

生徒さんの掛軸づくりを見せていただくためである。

生徒さんは、祖母が大切に保存されていた男物の紋付の背柄を利用し、掛軸として残したい、

という思い一念で辻さんの工房に通い始めた。

初めての表装に四苦八苦されながらも中廻(ちゅうまわし)と柱が出来上がった。

表装というのは、本紙(画・文字)が生かされてこその表装である。

中廻(周り)の生地、色柄と本紙がいかに合うかが最大のポイント。熟達した能力が必要とされる。

つまり、本紙の作品を理解し、それに対し、柱、中廻、一文字等(周り)の色柄を決められる技量が求められる。

大切にしたいモノが、世代を越えモノの形は変われど次の世代に伝わり残されていく。

その方法として、「表装」の役割は大きいが、残念ながら職人が少なくなっているのは時代の流れ。

そんな中で、辻さんのような、新しい時代の斬新なモノづくりをする作家の力が必要になっているのは間違いない。

辻めぐみさんの作品

※2018年6月に「心と体のなごみブログ」に掲載された記事をリライトし転載

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