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これをしにこの世へ来たか窯始
『隣の部屋へ行ったのだが、「何しに来たのか」忘れてしまうことが、誰でもよくある。それと同じように、人間は「この世へ何しに来たのか」皆忘れて生まれてくる。そして、多くの人間は、思い出せないまま死んでゆく。もしも思い出せたら、そいつは幸せ者だ。』
これは、NHKのラジオ深夜便の「こころの時代」での、何処かのお坊さんの言葉。「なるほどなあ、私は一体この世へ何しに来たのだろう?」命題が又一つ増えた。
その頃の私は、陶芸を「これがまあ、終の仕事か」とは、思っていなかったのだ。もっと面白い仕事があれば、いつでも転職するつもりだった。
ところが、ある夏の明け方、窯を焚いていて、余りの暑さに窯を離れると、丁度日の出にぶつかった。その途端、美しい朝焼けに感極まったのか、涙がどどっと溢れてきたのだ。その感動を言葉にすれば、「私はなんという幸せものか,有難や」今思うと、これは神の啓示だったのではないか、と思う。
それ以来、「陶芸は私の天職」を受け入れることにした。
そして、その年の暮、年賀状にこの句を書いたのだ。15年前のことだ。
尚、「来たか」の「か」は、感嘆の「か」ではなく、疑問の「か」である。たぶん私が死ぬまで、疑問の「か」である。それでいい。