:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 政治と宗教と金(そのー2)

2024-11-09 00:00:01 | ★ 政治と宗教

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政治宗教(そのー2)

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 トランプがあっけなく大統領選で勝利した。

 

トランプ大統領

 日本のテレビコメンテーターたちは一斉にトランプ氏とハリス氏を比較し、ハリスの敗因分析とトランプ勝因の分析に弁舌をふるっている。まだまだ新事実が現れるとは思うが、今日時点での感想を述べてみたい。

 私はトランプが正義や環境や福祉などどうでもよく、お金の神様の論理で動いて勝ったのだと思っている。

 

     

テイラースウィフト        イーロンマスク

 ハリス氏への支持を表明したテイラー・スイフトのようなセレブな歌手よりも、共和党支持者に登録したものから抽選で毎日一人の当選者に100万ドル(1億5000万円)を贈るというイーロン・マスクの約束のほうが、集票には比較にならない絶大な効果があった。宝くじでも競馬でも競輪でも当たるためにはまず金を払って券を買わなければならない。しかし民主党から共和党に鞍替え登録するのに金を払う必要があるとは思えない。射幸心からというか、単純に金銭欲から100万ドルに目がくらんで、自分の政治的信念を曲げて共和党に鞍替えした人間が続出したとしても不思議ではない。激戦区の票が1パーセント動くだけでも選挙の勝敗が逆転しかねない場面もあっただろう。金以外のものには一切反応しなかった貧しい無数の無関心層の「死に票」が、イーロン・マスクがチラつかせた虚妄の大金=イエローミラージュ(黄金色の蜃気楼)=に魅了されて突然目を覚まし、雲霞の如く投票所に殺到したのがトランプを勝利に導いた最大の要因ではなかったかと私は思う。今回の選挙の投票率が以外に高かったことがそれを示唆していないだろうか。

 マスクの金で大統領に返り咲いた独裁者トランプの「意思」は、今や合衆国の「法」となり、自分で自分の犯罪、すなわち、口止め料支払い(最高136年)、機密文書(最高450年)、選挙関連(最高55年)などで延べ禁錮700年の重罪に自らのお手盛りで恩赦を宣言するだろう。

 マスクはマスクで自分の金でトランプを勝たせてやった見返りに、アメリカの国を動かす影の実権を必ず握るに違いない。トランプはただ、壇上でこぶしを握って軽くツイストを踊り、虚空を指さしながら気分よく木偶人形を演じていればそれでいいのだ。彼にはもともと教養も、信念も、哲学も、まして信仰もない。

 キリスト教の最高の奥義は「神は父と子と聖霊の三位一体の神である」の一語に尽きる。他には八百万の神々がいる。ヤーベの神を拝むユダヤ教やアラーの神を礼拝するイスラム(回教)のような旧約のアブラハムの信仰に由来する一神教もあるが、キリスト教の「三位一体の神」だけが人類にご自分の内面的神秘を啓示された超自然宗教の神だ。

 ところで、私はリーマンブラザーズで高給を食(は)んでいたころに悟ったことが一つある。それは、この地上にも侮りがたい「三位一体の神」が存在するということだ。その具体的姿はウオールストリート(金融)とペンタゴン(軍事)とホワイトハウス(政治)の強固な三位一体だ。そしてそれを回しているのはお金の神様(マンモン)だ。

 

ピーターピーターソン

 当時、リーマンの中枢にいた会長のピーター・ピーターソン=学者然としたストイックな彼=は、ニクソン大統領のときの商務長官だった(後にソニーの社外重役にもなった)。その側にはドクター・シュレッシンジャーがいたが、彼はペンタゴンの国防長官だった。そしてピーターソンが日本に来るときには元ホワイトハウスのアジア・太平洋担当大統領補佐官を務めた男がぴったり付いていた。事ほど左様に地上の三位一体の中では、まるで血液のように一握りの男たちが地上の三位の神の間を絶えず循環しているのを目の当たりにした。その多くがユダヤ人だった。

 ローマ皇帝のように、ナポレオンのように、ヒットラーのように、今やトランプがアメリカ帝国のトップの座に就いた。

 日本の裏金議員が自民党の公認を得られず、無所属で立って当選すると、禊(みそぎ)が終わったと開き直って党員に復帰して大きな顔をするなどは、大統領選に勝ったとたんに禊はすんだとして自分の犯したすべての罪を自分で恩赦するのに比べれば可愛いものだ。

 兵庫県の斎藤知事が不信任案を突き付けられて失職しても、懲りずにまた知事選に立候補して、もし17日の選挙で当選すれば、知事に返り咲いて禊は済んだと開き直るだろうけど、この世で最強の神であるお金の神(マンモン)の化身のようなイーロン・マスクの手を借りてアメリカの大統領に返り咲いたトランプの厚顔無恥さに比べれば幼稚園児のように可愛らしく見える。

 それにしても、日本がアメリカから遠いためか、マスクの100万ドルプレゼントの衝撃ニュースの日から締め切りの11月5日までに、抽選で誰かに100万ドルが支払われたという話はまだ伝わってきていない。本当に100万ドルを手にした人が一人でもいたら、その強運の人は喜びのあまりはしゃいで触れ回っているニュースがどこからか聞こえてきてもよさそうなものだが、一体どうなっているのか?

 それとも、アメリカは日本よりも物騒な国だから、受け取った人はうっかり漏らしたら、すぐに狙われて悪くすれば殺されるかもしれないと怯えて、襲われないように警戒して沈黙しているのだろうか。そして、ひょっとしたら、イーロン・マスクは、受け取った人がいてもどうせ誰も口外しないだろうと見越して、初めから15人の当選者に1500万ドル(22億5千万円)を払う気などまったく無く、結局誰にも一銭も払わずに知らぬ顔を決めこんでいるのではないだろうか。

 もしそうなら、マスクは前代未聞の大噓つき、大詐欺師ではないか。それでいて、この見せ金の大嘘が選挙の勝敗を決定するほど絶大な効果を生んだのだ。人間がお金にどれだけ弱いかは、国際金融業の裏の裏まで見てきた私には嫌というほどよくわかる。わずかなお金のために少女が体を売る。まじめなサラリーマンが自社の企業秘密を売る。公務員が個人情報のリストを売る。政治家が法を犯して裏金を私物化する。ただの見せ金とは知らず、無数の人が目に$マークを浮かべてトランプの名を書くために投票時になだれ込んだのか。

 お金の神(太古の昔から「マンモンの神」と呼ばれた)はこの世で最も力のある神で、全ての自然宗教の背後に潜んで人類を奴隷化している。それに対抗できる神、マンモンよりも強い神はキリスト教の「三位一体の神」だけであり、また、そうでなければならない。

 しかし、地上の三位一体は全く侮り難い恐るべき神の化身だ。そもそも、人類誕生の最初の瞬間に人祖のアダムとエヴァをだまして天地万物の創造主である本物の三位一体の神に対する不従順を彼らの心に吹き込み、死を招き寄せ、失楽園の不幸に人類を陥れた蛇(悪魔)が背後に潜んでいるからだ。本物の三位一体の神と偽物の三位一体の神(蛇)との第一ラウンドは後者の側に軍配が上がった。しかし、第二ラウンドでは第二のアダム(キリスト)と第二のエバ(マリア)の本物の神への従順によって偽物が打ち破られた。しかし、偽物はそれで引き下がったわけではない。第三ラウンドはキリストの死と復活の勝利の直後からすべての人の魂を舞台にすでに始まっており、今まさに継続中だ。

 アメリカの政治と経済と軍事の三位一体の中枢に食い込んだイーロンマスクは、今までの民間の錬金術では物足りず、ホワイトハウスの、つまり、この世の覇権国家の中枢に寄生して、民間とはけた違いの政商というビジネス(練金術)で私腹を肥やし、富の王国を築くだろう。政治と軍需産業と戦争ほど儲かるビジネスはないのだから。

 ヒトラーが総統となったナチスの第三帝国の最大の犯罪、600万人のユダヤ人をガス室で殺し焼却したホロコースト、を効果的に止める力を持っていたのは、10億以上の信者を抱えた宗教大国の長、当時のローマ教皇ピオ12世だと言われているが、彼はその力を有効に発揮しなかったことで歴史に咎められている。その結果、ユダヤ人たちのホロコーストに対する恨みと鬱憤は今、見当違いにも矛先を変えて罪のないパレスチナ人に向けて吐き出されているように見受けられる。現在、ウクライナとガザの問題について最も期待される仲裁者は、トランプではなく、本物の三位一体の神の地上の代理人、バチカン市国の国家元首フランシスコ教皇その人ではないかと思うが、イスラエルの犯罪を前にして彼はピオ12世と同じ轍を踏もうとしているのだろうか。トランプの再選は第3次世界大戦の幕開けを告げることにならないことを祈るばかりだ。唯一の超自然宗教の地上の代理人である教皇フランシスコの動静が注目される。

 「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなた方は神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)

 人は本物の三位一体の神と偽物の三位一体の神の両方とうまくやっていくことはできない。だから私はウオールストリートからバチカンに寝返った。トランプの本当のライバルはハリスではなくフランシスコ教皇でなければならない。これから歴史があと何千年続くか、何億年続くか、或いはあっけなく次の世界大戦で人類が終末を迎えるかだれも知らないが、最後に勝つのは父と子と聖霊の三位一体の神であることだけは間違いない。

 

後楽園でミサをしたフランシスコ教皇

 フランシスコ教皇は5日、歴代教皇の中で初めて私の母校ローマのグレゴリアーナ大学で講義をした。バチカンニュースは「教皇、ローマのグレゴリアン大学で講話」という記事を発表したがそれは下をクリックすると読める。

https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2024-11/il-papa-visita-universita-gregoriana-lectio-magistralis.html

(おわり)

 

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★政治と宗教・宗教と金(そのー1)

2024-10-30 00:00:01 | ★ 政治と宗教

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政治宗教宗教

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 イエス・キリストは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)と言って、「神」(天地万物の創造主)と「皇帝」(地上の覇権)とを峻別し、両者を混同したり、両者のなれ合いを許したりすることを厳しく禁じられた。

 

        

 石破    イエス・キリスト   トランプ

 神を差し置いて、皇帝を神格化して崇拝したりすることを神は決してお許しにならなかったし、宗教と世俗の覇権がウイン・ウインの蜜月関係に入ることを厳しく禁じられた。

 また、「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなた方は神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)とも言われた。

 イエスは神と富を両対極に置き、神を拝むものは富を塵・芥(あくた)と見做すべきであるとする一方で、富を礼賛しその奴隷になるものは神を冒涜するものとして厳しく退けられた。また、神と富の両方にうまく折り合いをつけて、両者からうまい汁を吸おうとする心根を断罪される。財宝、富、金(かね)、は文明黎明の太古の時代からマンモンと呼ばれた偶像の神であり、その本性は悪魔の化身であることは明白な事実だ。

 イエスの教えは最初の300年余りは改心して福音を信じたこころ貧しい信者たちによってほぼ純粋に守られたのではないかと思われるが、そのためにローマ皇帝は帝国の底辺生きる貧しい庶民の間で急速に広がるキリスト教を警戒した。もはや自分を神として認めないだろう。税金を納めなくなるかもしれない。敵に寝返るのでは、などと恐れて、その迫害に狂奔したが、イエスを信じる者たちは、復活を信じ、殉教の死を恐れず、かえって燎原の火のごとく急速に広がっていった。

 

    

     安倍   コンスタンチン大帝 フランシスコ教皇

 力でキリスト教をねじ伏せ撲滅することに失敗した皇帝は、手のひらを返して、キリスト教を懐柔し取り込み、支配する策に転じた。自ら率先してキリスト教に改宗して洗礼を受け、キリスト教を帝国の国教扱いにして保護し、今まで拝んできた神々の神殿を壊し、その跡に教会堂を建て市民に十字架の礼拝を求めた。今まで皇帝を生き神様として拝み、皇帝の信じるギリシャ・ローマの神々を礼拝していた市民は、よらば大樹の陰とばかり、大挙して教会になだれ込んできた。

 しかし、皇帝はキリスト教を取り込み手なずけるための方便として洗礼を受け改宗したふりをしただけで、キリストが求めた「回心」などどうでもよかった。また、風見鶏のローマ帝国の市民たちも、「回心」など何のことやら全く理解しないで、自然宗教(ご利益宗教)のメンタリティーのまま形だけ洗礼を受け、名前だけキリスト教徒になったが、彼らの心はもとの偶像崇拝のまま変わるところがなかった。

 そんな中で、純粋のキリスト教を忠実に生きようとした少数派は、砂漠の隠遁者になるか、壁をめぐらした修道院の中に集団で立て籠るしかなかった。そして、キリスト教的ローマ帝国はご利益主義の「自然宗教キリスト派」ともいうべき宗教文化に染まっていった。

 この状態は中世を通して続き、近世、現代に至るまで、いわゆる「キリスト教」の主流であり続けた。

 日本人に身近な仏教や神道はもとより、世界のいずれの自然宗教も、皇帝に象徴される各時代の世俗的権力、政治社会的覇者と常に強く結託して、共に富=お金=マンモンの神=悪魔の崇拝に走った。

 キリスト教も「自然宗教キリスト派」として、コンスタンチン大帝によるローマ帝国のキリスト教化以来、中世の神聖ローマ帝国、現代のキリスト教民主同盟などの形で聖俗一体化の歴史を歩んできた。

 19世紀まで長く神聖ローマ帝国を引き継いできたドイツでは、2018年までキリスト教民主同盟(CDU)が政権与党だったし、同党は今も存続しているのではないか。

 アラブ系の国家では回教の最高指導者が大統領の上に立ち政治と宗教の両面を支配していることはよく知られている。

 日本は1945年の敗戦まで護国神社などの国家神道が日本の国教だったし、今でも保守自民党議員は靖国神社に参拝している。しかし、古く遣唐使の時代には護国寺、国分寺などとして仏教が為政者の宗教だった。

 イタリアの場合は40年前のヴィッラ・マダーラ協約までローマカトリックが国教だった。バチカンは1924年の独立国家となったが、ローマ教皇という世界的大宗教のトップを国家元首に戴く世に類例を見ない完全な政教一致の特殊な国家として、イエスキリストが唾棄した「神の国」「世俗の国」の融合した姿を取っている。事実、バチカン市国は国連に加盟こそしていないが、立派にオブザーバーとしての地位を占めている。では、プロテスタントは聖俗完全に分離しているだろうか。

 アメリカ大統領の就任式には、新しい大統領はキリスト教の聖書に手を置いて宣誓するが、これはプロテスタントの信仰に基づくものだろう。カトリック信者のJ. F. ケネディーもその聖書に手を置いて誓った。バラク・フセイン・オバマ大統領は名前から回教徒と誤解する人もいるが、彼はプロテスタントのキリスト教徒として聖書に誓った。もしも本物の回教徒やモルモン教徒がアメリカの大統領になったら、その人物は合衆国憲法に則ってキリスト教の聖書に手を置いて宣誓するのだろうか。

 11月の米大統領選で、キリスト教右派の福音派が揺れている。トランプ前大統領への熱狂的な支持を表明するキリスト教愛国主義の信者らが増える一方、伝統的な信者の中にはトランプ氏に不道徳な行いが多いとして全面支持すべきか迷う人たちもいるなど、亀裂が生じている。

 「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」と言った2000年前のキリストの言葉は、今日的な意味での政教分離の先がけだが、4世紀初頭にローマ皇帝のコンスタンチン大帝とキリスト教会が結婚して蜜月関係に入って以来、今日の独立国家、小さいながら精鋭の軍隊まで持ったバチカン市国に至るまで、イエス・キリストの教えは裏切られっぱなしになっているのではないか。

 これこそまさに政教分離の「超自然宗教」であったはずのキリスト教が、政教一致の「自然宗教した姿以外の何物でもないと思うがいかがなものか。

 日本では、公明党という政治団体が、日蓮正宗に基づく創価学会と一心同体の宗教政党であることは有名だ。事ほど左様に、世界中どこでも宗教(聖)地上の覇権(俗)との融合一致の誘惑には抗しがたい強烈な蜜の味がするらしい。

 宗教と政治家の関係を個人レベルで見れば、日本では麻生太郎がカトリック信者だということを知っている人がどれぐらいいるだろうか。私は麻生太郎がカトリック信者と言われるとき、トランプがキリスト教信者と言われるときと同じ違和感を覚えるが、それは私だけのことだろうか。

 そういえば新しい総理の石破茂はプロテスタントだそうだ。 安倍晋三は統一教会の信者ではないとしても、その関係はまさに「内縁の妻」とも言うべき親密さではなかったか。それに比べれば、私が個人的にも知っていた社会党(後の社民党)の衆議院議長になった土井たか子や、その周辺の河上民雄とその秘書などは、プロテスタントの信仰をまじめに生きた真のキリスト者であったことが懐かしく思い出される。

さて、この後は「宗教と金」の関係について書いて話を結ぶべきなのだが、一回のブログとしては長くなりすぎるのでここで区切り、続きは次回に譲ることにしよう。

【付記】

「政治と金」問題で国民の信を問う形になった今回の衆院選は与党連合の過半数割れに終わった。国民が「自民党=金=統一教会」の泥沼政治に鉄槌を下した形に終わった。これで日本は変わるのか?

(つづく)

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