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一冊の本
ヘルマン・ホイヴェルス著「神への道」
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ヘルマン・ホイヴェルス師
私の手元に古びた一冊の小さな本があります。その題は「神への道」。著者はヘルマン・ホイヴェルス神父。書かれたのは1946年クリスマスです。
もう探しても見つからないだろうと思いつつアマゾンの古書で検索したら、あった! 定価 380円 の本に 50倍 近い 18,081円 の高値がついていて驚かされました。
わたしは18歳の時にホイヴェルス師にめぐり逢い、その後、師が亡くなられるまで教えを受けたのですが、そのわたしも今年12月に師の亡くなられた86歳に達します。しかし、「神への道」を久々に紐といて、今なおその境地にはるかに及んでいないことに限りない畏敬の念を禁じえません。
余計な解説は野暮というものです。ご一緒に師の言葉を味わいたいと思います。その本はこう始まります。
人間は神を探求する
草木が暗い地中から太陽に向かって伸びようとするように、人間は神を追い求める。あたかも草木が日光に浴して始めて成長し、葉や花をつけ、実を結ぶように、人間も神の御許にあって初めて花を開き実を結ぶ。草木が力の限り、なんとかして日光を求めるように、人間も神を見出すまで、これを探求せずにはいられない。植物がこうして太陽を見出せば、いつもたゆまず枝葉や花を太陽の方に向けるように、人間も怠らず心を神の方にたかめねばならない。ただそうしてこそ、人間は成長し成熟するものだからである。
秘められた神
ところが神は、秘められた神である。世界中を尋ねまわっても、どこにも肉眼では神を見ることはできない。人間の耳では神のささやきは聞こえないように、神はその被造物の多彩で多音な物事のかげに、静かに秘められている。鋭敏な触手をもった人間の心をもってしても、これを捉えて、神が見つかったと歓声をあげるわけにはいかない。神はわれわれ人間とは全く別種のものだからである。
しかし神はご自身の存在をわれわれに知らせるために無数の使者を、われわれに遣わし給う。神の力によって創造された天も地も、そこにあるあらゆる自然美も神を宣示している。これらの使者を感得するには、ただ目をひらき、耳でよく聞き、心を静めればそれで足りるのである。秘められた神の使者に注目することがわれわれ人間の真の意義である。一生の間、神は秘められたままであっても、われわれは神を見出すまで探求してやまなければならない。神はどこかに現れ給うのである。そして神を見出した後も、神を探求すればするほど、ますます多くのものが神について見出されるのである。
このように始まった師の「神への道」の「あとがき」に、師は記しておられます。
「本書は、大学生(注)を中心にして行った講義から生まれたものであります。10年の間、紀尾井町の上智の森に集まった学生たちは、「神」「世界」「人間」という人間の永遠の問題を取り扱って研究したのであります。若い人たちは、それぞれ自分の立場をもってこの集まりにやってきました。求める心をもって(何を求めるのか自分ではわからなくても)、疑う心をもって(何を疑うのかさえよく知らなくても)、時には反感をもって(何に反感を抱くのかさえ明確でなくても)、あるいはプラトンのように、世界宇宙に対する存在そのものに対する驚きを抱いて、そしてみな次第に真理の光を浴びて、人生のなぞを解き悟り、さらに真理の光の不思議な温かさまでも心に覚えるようになりました。かれらは、理性から信仰へ、信仰から愛へと進みました。・・・若い人で求める心のない人は、ひとりもいないと思います。彼らもいずれ真理の光を浴びるように!求める心があれば、心を満たすものがあるはずです。太陽が地球を照らすように、神は人の心を照らし給うものです。光をもとめよ!ニューマンの歌ったように、
Lead, kindly light, amid the encircling groom!
導き給え なつかしき光よ 周囲の暗闇の中より!
この本が書かれたちょうど10年後、わたしもこの勉強会で学びはじめました。その年、この会に「紀尾井会」という名がつけられました。わたしはその紀尾井会の揺り篭で育ち、今日のわたしがあるのです。
わたしの魂の師、ヘルマン・ホイヴェルス神父の第41回目の「偲ぶ会」から、私はその主宰の任を引き継ぎました。コロナの危機の間も一度も休むことなく続けることが出来たのは、神様の特別なご配慮のお陰ーほとんど奇跡ーであったと感謝しています。
今年も師のご命日には第48回目の「偲ぶ会」を開けることを喜びに思っています。今年の6月9日は月曜日です。例年通り午後3時から四谷の主婦会館「プラザエフ」で開かれます。ホイヴェルス師の面影を知っている人は年々少なっていますが、ここ数年、師の生前のお姿に接したことのない世代がこの「偲ぶ会」に増えてきました。四谷の聖イグナチオ教会の初代主任司祭、生涯に3000人以上の驚異的な数の日本人に洗礼を授けた聖なる司祭の遺徳を偲び、その教えに学ぶ人たちが、今後ますます増えていくことを祈りつつ・・・。
(注):当時は東大や早稲田や中央や慶応、そしてお茶の水の学生が多く、上智の学生は少数派だった。