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デュッセルドルフ-3
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帰国後、移動が激しく、なかなかゆっくりとパソコンに向かってブログの原稿を書く暇が見つからない。アッと言う間に二週間が過ぎていった。しかし、焦ってみてもどうしようもない。こうして旅の一夜の宿の夜更けを利用して、数行ずつでも書き貯めていくしか、他に手がないのだ。
「デュッセルドルフ-2」 は、大スタジアムにおける新求道共同体の若者たちの集会の前座にあたるキコ氏の交響曲の話で終わった。ブログ訪問者の多くが、「新求道期間の道」の公式ホームページの日本語サイトから動画に入って、キコ氏の新しい音楽を聞かれたようだったが、その反響は概して良かった。
さて、次はいよいよこのイベントのクライマックスである。
広いステージはなんのため?
今回の全ヨーロッパの共同体の若者たちの集いは、明らかに8月15日を中心にマドリッドで開催される教皇ベネディクト16世主催の「世界青年大会」を意識してのものであることは言うまでもない。
ケルンのマイスナー枢機卿の話しや、キコ氏自身の長い熱烈な呼びかけは、いずれも、現代世界における福音宣教の緊急性と必要性を強くアピールするものであった。
若者たちに話しかけるケルンの大司教マイスナー枢機卿
会場の熱気が最高潮に達した頃、キコ氏は、集まった若者たちに呼びかけた。
「生涯を福音宣教に捧げ、独身を覚悟して司祭職を志す若者は立って前の壇上に集まりなさい!」
するとどうだろう。フィールドから、スタンド、それも最上段に至るまで、実に大勢の若者らが立ち上がって、通路に沿ってフィールドまで下りてきて、前に進んで広いプラットホームに駆け上がってくるではないか。
キコ氏の巨大な絵の下に、一列に並んでそのドラマを見守る来賓の枢機卿、司教方の前に若者たちが跪く。広いステージは見る見る内に若者たちで埋まっていくではないか。蟻の行列のように各通路から壇に向かう若者の流れが続く間、キコはギターを弾きながら歌っている。まるでハーメルンの魔法の笛の音に誘われて付いて行く子供たちを見ているようだ。
広いステージを埋めた若者たち
最後のものが壇に登った時、その若者たちの数は300人を優に超えたかと思われる。スタンドを埋めた3万人の半数が女性だとすれば、会場の若者50人に一人が司祭の召命を感じて立ったことになる。
跪いた若者は、一人ひとり来賓の枢機卿、司教、司祭達から按手を受けて、もとの席に帰って行った。世を挙げて司祭への召命不足で教会が危機に瀕している今の時代に、何とも目を疑いたくなるような光景ではないか。
世俗化が進んだ現代文明社会では、信仰ゆえに世俗を捨てて聖職に就こうなどと言う奇特な若者はほとんどいない。回教世界のことは知らないが、日本の仏教界も、お寺さんの後継者不足の深刻さは知る人ぞ知るだ。戦後日本で宣教活動を展開していたプロテスタント教会諸派の中には、宣教師の後継者不足で日本から撤退した派もあると言う。
続いて、同じ手法で、今度は若い女性たちに呼びかけがあった。
「生涯独身で、修道院の禁域の中で祈りと犠牲の生活に身を埋もれさせる生活への召命を感じたものは立って壇の上に来なさい。」
またも、キコ氏のギターの音色と歌声に誘われるかのように、スタンドの上の方からも立った女性たちが列をなして壇に向かった。見ると多くの女性たちが滂沱の涙を拭おうともせずに急ぎ足で進んでいく。跪いて祝福を受け、自分の席に戻る時、壇のうえで友達と抱き合って泣いている彼女たちの姿は、見る人の胸に熱いものを感じさせるに十分だ。
抱き合って激しく泣く二人
彼女たちを突き動かして立たせ、壇の上に進ませ、公にその決意を明らかにさせた力は何処から来るのだろうか。それは、何か非日常的な、崇高な、超自然的な力ではないだろうか。私は、「神は居る!」、現代世界においても「神は死んではいない!」と言う確信を、あらためて深くした。
キコが歌う
諸君!次はマドリッドで会おう、と叫ぶキコ
キコ氏とともに歌う歌があって、祈りがあって、実務的なアナウンスがあって、この「召命」の集いは終わった。3万人が一度に外に出るにはそれなりの時間がかかる。フィールドで待つ若者たちは、思い思いにギターや打楽器などを奏でて、歌い輪になって踊っていた。
祝福を受けて女性たちが壇を下りると、オーケストラの演奏家たちが壇を占領して踊り出す。
サッカーグラウンドの広さのフィールドを踊りの輪で満たす若者たち
踊れ、踊れ、心行くまで!
仲良しになった若者たちと
広いバス駐車場まで行くと、それぞれのグループはバスに乗ってあらかじめ予約してあったレストランへたっぷりの夕食を取るために散っていった。私たちのグループ、4台のバスに分乗した200人は、デュッセルドルフのアルトシュタット(ライン川沿いの旧市街)のシッフヒェンと言う古い有名なビアーレストランに入った。
ビアレストラン、シッフヒェンの看板のレストランの文字の上には金色の帆かけ船が
シッフヒェンのステンドグラスには創業1628年以来を表す数字が
骨付き豚肉とザウアークラウトとマシュポテトの典型的なドイツ料理だった。そして、もちろんアルトシュタットの郷土ビール、濃い茶色のアルトビアーは飲み放題だ。何しろ、この食事の後、またローマまであの過酷な22時間のバスの旅が待っているのだから。