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私の「インドの旅」の総集編(1)と(2)
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(1)導入
Covid-19 (新型コロナウイルス)のショックで一年遅れた「2020東京オリンピック」も終わった。
実は、1964年の第一回東京オリンピックの開会式の夜、私は横浜から船でインドの旅に出た。だから、東京オリンピックを経験するのは今回が初めてになる。第1回のは、敗戦からの復興を象徴したオリンピックだったが、今回のは自然の猛威に対する人間の無力さを見せつけるものとなった。
ともあれ、25歳の多感な目に映った旅の印象を、私はカトリックの布教誌「聖心の使徒」に連載したが、今回のブログ「インドの旅」シリーズは、57年前の記事を復刻したものに若干のコメントを添える形で進んだ。そして、最後から二番目の第19信「サンガムの沐浴」まで辿り着いたのは今年の3月だった。
本来なら、続いて最後の第20信を書いてとっくに終わるはずの連載だったが、「ガンジス川の沐浴」とくれば、遠藤の最後の長編小説「深い河」が連想される。私は「深い河」とともに、彼の最初の長編小説「沈黙」に対して、日頃から物申すところがあったから、急遽予定を変えて、この機会に、遠藤批判に集中することにした。
先ず、私は遠藤が洗礼を受けた経緯と、日本における彼の信仰形成をたどってみた。彼は母親と相前後して中学生のときトリックの洗礼を受けているが、当時日本中、いや世界中どこでもそうであったように、遠藤母子とも取り立てて言うほどの信仰入門教育を受けた気配がなかった。(注1)
周作が「ヨーロッパで触れたキリスト教は、父性的原理を強調するあまり、母性的なものを求める日本人の霊性に合わない」とか、「日本人としてキリスト教徒であることは、ダブダブの洋服を着せられたように息苦しく、それを体に合うように仕立て直すことが自分の生涯の課題であった」とか言って、キリスト教を日本の精神風土に根付かせようと腐心したとか言われている。
また、人はいとも簡単に「キリスト教的唯一神論と日本的汎神論の矛盾」が遠藤の生涯のテーマだったとか、遠藤が「深い河」で目指したものは「日本人のキリスト教」、別の言葉で言えば「世界に通じる普遍的なキリスト教」だったと言うが、それは一体どういう意味か?これらは批判的に検証されなければならない。
それで、書き始めてみたら、アッと言う間にA4の下書きで20頁を越えてしまった。
これは一回のブログには長すぎる。しかし、ただ小出しに分割してだらだらと書いても、誰も読んではくれない。それで、一計を案じて筋書きを目次風に前もって掲げて、それに沿って内容を推敲しながら数回のブログに分割してアップすることにした。
その目次というのは以下の通りだ。
(1)導入
(2)インカルチュレーションのイデオロギー (ここまでは今回のブログでカバーする)
(3)自然宗教発生のメカニズム
(4)超自然宗教の誕生―「私は在る」と名乗る神との出会い
(5)「超自然宗教」の「自然宗教」化
(6)神々の凋落
a)自然宗教の凋落
b) キリスト教の凋落
c) マンモンの神の登場 天上と地上の三位一体
(7)遠藤批判
(8)田川批判
(9)絵に描いた餅は食えない
(10)超自然宗教の復権
取り敢えず試しにこの目次に沿ってしばらく「私の『インドの旅』の総集編」を展開してみよう。実はいま書いているこの部分が既に(1)「導入」に相当する。
今回は、多分(2)「インカルチュレーションのイデオロギー」までで一回分としては十分な長さになるだろう。私ももう81歳になった。このやり方で果たして読まれるだろうか、など気にしない。書きたいときに、書きたいことを、書きたいように書くことにしよう、と開き直っている。
(2)インカルチュレーションのイデオロギー
「カトリック作家」を売りにして世に出た遠藤は、こと宗教に関しては、日本ではまわりが和服姿でいる中で、少年時代に洗礼を受けた自分ひとりだけ洋服を着ているような居心地の悪さを体験したようだが、その遠藤が、幸運にも戦後初めてのフランス行き留学生3人の中に選ばれたのは、フランス人宣教師ネラン神父の尽力のおかげであったが、初めてキリスト教的西欧社会に接して、自分はカトリックの洗礼を受けているのに、今度は洋服社会の中で自分一人だけ和服を着ているような強い違和感をおぼえたようである。
それは、日本ではカトリックであるために日本の文化に溶け込めず、フランスではカトリック信者であるはずなのに西洋文化の中に溶け込めなかったことを意味しているのだろう。
そこから、西欧のキリスト教をそのまま日本に移植しても根が腐るだけだ、キリスト教を日本の精神風土に合った形に改変しない限り、決して日本に根付くことはないと考え、さらに、日本の精神風土に抵抗なく溶け込めるものへの変容をなし遂げたキリスト教こそ、世界中のあらゆる精神的風土の中に根付くことのできる本当の普遍的なキリスト教になれるはずだ、という壮大なビジョンを持った、と「沈黙」と「深い河」を読んだ私は勝手に善意に理解した。
他方、有名な井上洋治神父の「アッバ、アッバ、南無アッバ」節(ぶし)は、イエス・キリストの天のおん父なる神を親しみを込めて呼ぶ「アッバ」という言葉に、敢えて「南無」を冠したものであるが、それを「南無阿弥陀仏」の6文字が不可分の一語に結晶した形で慣用されている現実と重ねると、「南無」に続く「アッバ」を「阿弥陀仏」と等価的・互換的にイメージさせる絶妙な効果を発揮することを、十分承知の上でのことと思われる。要するに、井上の「南無アッバ」とは「南無阿弥陀仏」のことなのだ、という連想効果を生むのである。そこには、超自然宗教の神「私はある」を自然宗教の仏様と同等のもののごとくに拝ませるものがあり、行きつくところはキリスト教の信仰内容を日本の自然宗教の宗教心で置き換えようとするものではないか。「沈黙」や「深い河」で遠藤はこのイデオロギーを小説に託して展開していると言えよう。
しかし、本物のインカルチュレーションはそんなものではない。
たとえば、ヘルマン・ホイヴェルス神父が日本の伝統歌舞伎の様式を用いて「細川ガラシャ夫人」の殉教を、当代一の女形(おやま)歌右衛門を主役に、東京銀座の歌舞伎座で一か月の公演を打った、とか、宝生流の能の舞台で「復活のキリスト」を演じたなどの試みは、キリスト教の核心部分を日本の伝統文化・芸術様式を使って表現すると言うもので、本来のキリスト教の魂を日本文化へ受肉させる試みと言えるだろう。
当時の宝生流17世宗家の法生九郎が、ホイヴェルス神父の才能と情熱に共鳴したことに加えて、翁面、尉面、女面、男面、鬼面、仏面など、物語の登場人物の役回りに応じて着ける面を伝統的に厳しく制限された類型の中から選ぶ慣例を破って、敢えて新たに「復活のキリストの面」を日本でただ一面だけ別格として能面師木戸久平に彫らせたホイヴェルス神父の力量は特筆に値する。
ちなみに、バチカン宮殿で最近この「キリストの復活」能が演じられたと言うニュースを読んだが、原作者神父の没後40年目に日本にただ一面だけしかないキリストの面とともに能「復活のキリスト」がローマで蘇ったのだ。
死者の「復活」はキリスト教信仰の神髄だが、これこそ、日本の伝統の中にキリスト教の本質を一ミリも妥協することなく受肉させた本当の意味での「インカルチュレーション」=「キリスト教の土着化」というべきではないだろうか。
もし遠藤・井上流インカルチュレーションのイデオロギーに従って「キリストの復活」が能の舞台で演じられたと仮定すれば、必然的に能の伝統としきたりに従って、キリストの役がつける能面も既存の面の類型の中から選ばれるわけで、その場合は中尉や男面ではなく仏面が充てられたにちがいないが、それはキリストの復活の意味を多分意図的にゆがめる結果になっていただろう。もちろん、遠藤には初めからキリスト教の教義を日本の伝統芸能で演じると言う発想そのものが欠落していただろうから、そう言う問題自体が生じ得ないのだが・・・。
ホイヴェルス神父の「復活能」に遠藤とは180度真逆のベクトルが見て取れる。
バチカン宮殿で舞われた世界にたった一枚の復活のキリストの能面
私は、この遠藤・井上流の「キリスト教のインカルチュレーション」という「イデオロギー」の中に明らかな誤謬と危険な毒素を撒き散らそうという巧妙な意図が潜んでいると感じてきた。それはここで正しく指摘され、きびしく排除されなければならない。
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注-1:「私の『インドの旅』と遠藤周作の『深い河』(そのー2)」(4月13日)参照。
(つづく)