Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

straw  hat 5

2017-01-29 11:59:58 | 日記

 事の起こりは、若い2人が新婚旅行から帰り、この家に入った3日後に戻る。

朝の玄関前で、竹雄が出勤して行ったのを新妻の薫子が見送っていた時、

隣の家の奥様も、丁度ご主人の出勤を見送った後で、目が合った2人の主婦は当然朝の挨拶を交わした。

薫子がにこやかに微笑んでいると、向こうもにこやかな笑顔だったが、

目にやや違う笑いが潜んでいる事に薫子は気が付かなかった。

「奥さん、ちょっと、ちょっと。」

彼女に手招きされるままに、薫子はお隣の奥様について行く。

隣の家の横は奥の住宅に続く道である。道の片側はまだ畑であり、薫子の家の窓もこの畑に隣接していた。

それで彼女達の家々の窓からは、この畑で作業する人々がよく見えた。

また、見えるだけでなく、家の窓から眺めているとフェンス越しに声をかけられて、

朝夕の挨拶などもするようになる近さだった。

畑から道を挟んだ向かい側は山の斜面になっている。土手と言ってもよい高さで、本来の山の木や植物がまだ残っていた。

その土手を上ると高台になり、そこは既に整地されていた。次の住民を待つ宅地が整備されていたのだ。

この畑と土手の間の道、車2台が何とかすれ違う事が出来る程の幅の道に、この時小型のジープが1台止まっていた。

 「あのジープ、奥さんと一緒に来たのよ。」

お隣の奥様は笑顔で彼女の顔を見ながら言った。

前はあんな物無かったのに、2日前奥さんと一緒に来たのよ、と彼女は笑みを絶やさずに言って、

薫子に念を押すようにねっと頷いて見せた。それから2人は元の家の玄関先に戻って来た。

家の前に着くとお隣の奥様はやや笑顔を収めて、自分の家に入る前に薫子に言った。

「訂正するなら早い方がいいですよ。」

去り際の彼女の横顔からは笑いが消えて、細面で色白の彼女の頬には何だか寂しそうな気配が漂っていた。

 

 


straw  hat 4

2017-01-29 11:59:38 | 日記

 この時薫子には、この地へ来てから綿々としていたある問題を打開したい思いがあった。

それで振り返ると、去っていく男性の背はまだ2、3メートルほどしか離れていなかったので、

その背に向かって思い切って声をかけた。

「What do you want to say me?」

彼女にすると私に何か言いたいのかと尋ねたつもりだが、学校を卒業後、殆ど英語に触れる事など無かった彼女の事、

自分が発した英語が合っているかどうか、通じるかどうか自分でも甚だ疑問だった。

去っていく男性は彼女の声にちょっと耳を傾けた風であった。顔だけ振り向きかけた、

が、特にこちらへ向き直る事も無く、そのまま静かに向こうへ去って行った。

この時彼女に彼の言葉が聞こえて来た訳では無いが、彼女には彼が『何も、何も言うことなど無い。』

そういうような身振りをしたように思えた。

彼女も去って行く彼とは反対の方向へ、そのまま自分の家の方へと歩き出した。

そして何だか嬉しくて微笑んだ。胸に湧いて来るほのぼのとした感情を感じたのだ。

 『彼は私が好きなのだ。』

その感情は彼女が初めて感じるものだった。

胸の中に暖かな泉のようなものが滾々と湧き上がって来るのを確かに感じた。

そして彼女は思った。こういう感情が危ない物なのだ、やはり気を付けなくてはいけないのだと。

そして、とうとう自分の目前に、彼がはっきりと姿を現したのだと思った。

自分の彼に対する態度も、今後ははっきりとさせておくべきだ、この湧き上がる暖かな流れを断ち切らねばならない。

彼女は気持ちを引き締めるのだった、自分はもう結婚しているのだからと。

 有閑なこの山の手の奥様連、その何人が家の窓から、

この山の畑作業に勤しむ婦人達、その何人の人が山のあちらこちらの草叢や畑から、

今の2人の接触を見ていただろうか。

住宅地へ入る坂道に掛かった彼女は、暗にその視線、気配を感じるのだった。

 

 


straw  hat 3

2017-01-29 11:59:15 | 日記

 薫子は段々暇を持て余すようになっていた。

山の麓のお店までは階段で行くのが近く、夏の暑い盛りは普通外出時間を短くしたいものだが、

その調子で行動すると時間が短縮される分、余暇時間が大幅に増えてしまうのだ。

殆どの散歩コースにも飽きてしまって、ご近所付き合いといってもまだ10件も無いこの山の手、

その住宅地の内半数以上の家がこの土地出身の核家族、昼間は自分か夫の実家へと行ってしまい、留守の家が多かった。

自然付き合いもあまりなく、やはり彼女は日中1人でいる事が殆どだった。

そんな中で、彼女はある時間潰しの方法を考えついた。山道をジグザグに上ってくる方法だ。

よく疲れた人や体力のない人が取る方法なのだが、広い車道の道を横へと歩き、蛇行しながら少しずつ上って来るのだ。

こうすると家への遠回りの車道という道のりに加えて、蛇行して進んだ分距離が延びて時間も掛かり、暇潰し出来るのだった。

 真夏の炎天下、山の坂道、上り坂である、普通の人ならこんな馬鹿な真似はしないのだが、

彼女はそれだけ暇を持て余していたので、この考えをすぐに実行に移して20分余りを潰すと、

してやったりとご満悦の体であった。

 その日、薫子はやはり麓のお店での買い物の帰り、買い物した品物の入ったナイロン袋を片手に下げながら、

近道の階段と遠回りの広道との境に来ると、腕時計を見て暇つぶしのコースに足を向けた。

ゆるゆると横に道を斜めに横切ると、次は反対の方向へゆるゆると横切って行く、

右へ左へジグザグジグザグとのたりのたりと道を上って行く。すると次の分岐点に差し掛かった。

真っ直ぐ行くと山を越えて隣町。細道に折れると自分の家がある住宅地に向かう。当然彼女は細道に入った。

この細道は、山の中腹のような感じでほぼ真っ直ぐな道であったので、

ゆっくり歩くと上り坂の疲労が和らいで来る憩の道のりでもあった。

彼女は上り坂の疲労を感じながら、楽な歩行に変わった道で、疲労を少しずつ回復させながら歩いていたが、

手に荷物があり、何しろこの夏の炎天下、やはり息は切れた。疲れから視線は足元の地面を見るのみであった。

しかも鍔の広い麦わら帽子である。この広い鍔のお陰で、

顔から肩にかけて落ちる影が爽やかな清涼感を与えてくれるのだが、

うつ向いて歩くと、帽子の鍔に隠れて前はさっぱり見えなかった。

元々この細道で人に会うことなど殆ど無かったので、彼女は前に人がいるなどとは夢にも思わなかった。

地面を見ていた彼女の目に、ふいに靴、男性らしい濃い目の色合いの靴が1足飛び込んで来た。

飛び込むというか、靴はそこに留まっていたのだが、彼女が歩いて近付いたので視界に入って来たのだった。

 『あれっ!』

ハッとして彼女は顔を上げた。そこには1人の男性が立っていた。

彼女の真正面に彼はいたので、2人は面と向かって向き合う形になってしまった。

彼女が見た彼の顔は、酷く怒ったような感じに見えたので、彼から怒鳴られるか叩かれるかするかと彼女は思った。

 彼女は一瞬びくっとして身を震わせた。

彼も彼女のその恐れを感じたのだろう、ふいっと彼女の脇へ除けると、

立ち竦む彼女を迂回してそのまま真っ直ぐに彼女の後方へと歩み去っていった。

 


straw  hat 2

2017-01-29 11:58:44 | 日記

 日差しが眩しく差し始めた初夏から、カンカン照りが盛んになった真夏の候

彼女はこれまでと違って、初めてシーズンの初めに購入した今年の麦わら帽子を愛用していた。

近くのお店に買い物に行く時も、山道を所在無さげに逍遥してみる時にも、

この帽子1個のみを使い回して軽装で出かけるのだった。

事実、彼女は他に夏用帽子を持っていなかった。お洒落に出歩きたい時には日傘をさしていた。

しかしこのような郊外では改まった服装で出かける場所が実際に無かったのも事実である。

殆ど買い物にしか出歩かないのだから、手の空く麦わら帽子は彼女の買い出しの常のお伴であり、相棒だった。

 彼女は山道の夏草のむーっとする香りを楽しみながら、山を迂回する広道の車道のコースから、

ご近所の人に教えてもらって、山肌の斜面に作られている急階段の近道を覚え、

あちらの小道、こちらの小道、また、隣町への山道など、海へ降りて行く斜面の階段を新しく発見しながら、

この新しい住まいの土地に徐々に慣れて行った。

 彼女にとって、段々畑から海辺へと降りて行く道は、見晴らしの良さや潮風の心地よさからお気に入りのコースだった。

畑では年配の婦人や初老の婦人、かなりの年齢らしい婦人まで、主に女性を多く見かける事になった。

ここは海辺の町であり、働ける土地の男性は漁に出ている人が多かったのだ。老齢な男性でさえめったに見る事が無かった。

彼女が麦わら帽子に軽装のズボン姿で段々畑の中を下りて行くと、

誰かしらによく挨拶されたのは、全く風景に馴染んでいたかららしかった。誰か土地の人と思われるようだった。

薫子がこの様に土地に馴染んでしまったものだから、竹雄はある時彼女にこう言ったものだ。

「君の都会的なところが気に入って嫁に貰ったのに、何だか田舎臭くなったな。」

彼女はこれを聞いて苦笑いしながら、

「田舎にいて都会的になれと言う方が無理じゃないかしら。」

と返した。ぐうの音も出ない竹雄だったが、言い返されてややカチンと来たらしかった。

それでもこの夫婦はまだ新婚という事もあったのかもしれないが、傍目にはそれなりに仲の良い夫婦に見えた。