神が宿るところ

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伊豆国分寺

2011-11-01 23:17:30 | 寺院
伊豆国分寺(いずこくぶんじ)。
場所:静岡県三島市泉町12-31。伊豆箱根鉄道駿豆線「三島広小路」駅の北西180m。駐車場有り。
「伊豆国分寺」は、天平13年(741年)の聖武天皇の詔により全国に建立された国分寺の1つだが、その所在地については、諸説あって一定しなかった。そのなかで、日蓮宗の「宝樹山 蓮行寺」という寺院が国分寺の旧地であると言い伝えられ、昭和31年の発掘調査によって同寺境内から塔址等が発見されたことなどから、所在地がほぼ確定された。発掘調査を行った日本大学教授軽部慈恩氏の推定によれば、講堂・金堂・中門が一直線に並び、約60mにも及ぶ塔は回廊の外、中門の手前の西側にあったとされる(東大寺式伽藍配置)。
「伊豆国分寺」は、平安末期には真言宗の寺院となり、門前の左右に塔頭寺院が並んでいたらしいが、天文年間(1532~1554年)頃、北条氏と武田氏の戦火に遭って焼失。現「伊豆国分寺」は、三島代官・井出正次が慶長5年(1600年)に日蓮宗「蓮行寺」として再興したが、安政の大地震で被災、ようやく大正12年に日蓮宗「称蓮寺」が建立されて、昭和29年に「最勝山 伊豆国分寺」と改称したものという。
現「伊豆国分寺」境内には、塔の礎石8個が東西2列に並べられている。これが塔址の北半分で、南半分は消失している。軽部慈恩氏の推定によれば東西80間(約145m)・南北100間(約182m)という寺域があったされるが、その主要部はむしろ現「伊豆国分寺」の本堂の裏に広がっていたことになる。
ところで、国指定史跡にも指定されている「伊豆国分寺塔跡」だが、肝心の塔心礎がない。塔心礎は、明治23年に造営された小松宮彰仁親王の別邸(現在の「三島市立公園 楽寿園」。場所:三島市一番町19-3)の茶室の蹲踞とされ、後に東京・浅草の宮邸に運ばれたらしいが、その後は行方不明になっているという。


三島市のHPから(伊豆国分寺塔跡)


写真1:「伊豆国分寺」


写真2:本堂。本尊:釈迦如来


写真3:塔址。本堂の裏手にある。国指定史跡。
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