上横山遺跡(かみよこやまいせき)。
場所:静岡県駿東郡小山町竹之下。静岡県立小山高校(住所:静岡県駿東郡小山町竹之下369)の南側。駐車場なし。
「上横山遺跡」は、東名高速道路の東側に広がる台地上にある、奈良時代初め(8世紀前半)の遺跡で、昭和55年の発掘調査により、竪穴式住居跡28棟、掘立柱建物(倉庫?)跡6棟が発見された。また、ここから出土した土器は、静岡県東部のもののほか、山梨県や神奈川県のもの、更には平城京で使われた土器に類似したものも見つかっている。実は、小山高校の敷地からも金属製の馬具等も見つかっている(「横山遺跡」と称されている。)。小山高校の南側の道路は足柄峠への道路ともつながっていることも考え合わせると、これらの遺跡が交通の要衝にあり、あるいは古代東海道に面していたのではないかとも考えられている。多数の住居・倉庫の存在や、その配置等から考えると、地方豪族の屋敷跡か官衙跡とされているが、あるいは、元は地方豪族の館であったものを、足柄峠越えの布施屋としたのかもしれない。いやいや、ひょっとすると、これが「横走」駅家だったかもしれない。「長倉」駅家からやや距離が離れるが、この辺りの古代東海道は何度か富士山の噴火被害にあっているはずで、駅家も被害を避けて別の場所に再建されたということもないとは言えない。創設当初の駅家の場所とは異なる、何回かの移転先かもしれない。もちろん、何の証拠もないので、妄想レベルだけれども。
写真1:「上横山遺跡」説明板。遺跡自体は広い工場敷地の中。
写真2:道路の向かい側には「陣場」戦跡の碑もある。足利尊氏軍と新田義貞軍(官軍)が戦った「竹之下合戦」(1335年)で、官軍
が布陣したところらしい。尊氏軍は足利峠の東側に布陣。
写真3:「上横山遺跡」付近から見る富士山
場所:静岡県駿東郡小山町竹之下。静岡県立小山高校(住所:静岡県駿東郡小山町竹之下369)の南側。駐車場なし。
「上横山遺跡」は、東名高速道路の東側に広がる台地上にある、奈良時代初め(8世紀前半)の遺跡で、昭和55年の発掘調査により、竪穴式住居跡28棟、掘立柱建物(倉庫?)跡6棟が発見された。また、ここから出土した土器は、静岡県東部のもののほか、山梨県や神奈川県のもの、更には平城京で使われた土器に類似したものも見つかっている。実は、小山高校の敷地からも金属製の馬具等も見つかっている(「横山遺跡」と称されている。)。小山高校の南側の道路は足柄峠への道路ともつながっていることも考え合わせると、これらの遺跡が交通の要衝にあり、あるいは古代東海道に面していたのではないかとも考えられている。多数の住居・倉庫の存在や、その配置等から考えると、地方豪族の屋敷跡か官衙跡とされているが、あるいは、元は地方豪族の館であったものを、足柄峠越えの布施屋としたのかもしれない。いやいや、ひょっとすると、これが「横走」駅家だったかもしれない。「長倉」駅家からやや距離が離れるが、この辺りの古代東海道は何度か富士山の噴火被害にあっているはずで、駅家も被害を避けて別の場所に再建されたということもないとは言えない。創設当初の駅家の場所とは異なる、何回かの移転先かもしれない。もちろん、何の証拠もないので、妄想レベルだけれども。
写真1:「上横山遺跡」説明板。遺跡自体は広い工場敷地の中。
写真2:道路の向かい側には「陣場」戦跡の碑もある。足利尊氏軍と新田義貞軍(官軍)が戦った「竹之下合戦」(1335年)で、官軍
が布陣したところらしい。尊氏軍は足利峠の東側に布陣。
写真3:「上横山遺跡」付近から見る富士山