神が宿るところ

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府八幡宮

2012-01-14 22:12:28 | 神社
府八幡宮(ふはちまんぐう)。
場所:静岡県磐田市中泉112-1。JR東海道本線「磐田」駅北口から、真っ直ぐの道(県道58号線(袋井春野線))を北へ、約1km。駐車場あり。「遠江国分寺跡」とは、県道を挟んで隣り合っている。
「府八幡宮」は、遠江国府に伴う八幡宮の意味。社伝によれば、天平年間(729~748年)、天武天皇の曽孫である桜井王が遠江国司として赴任した際、国府の守護神として祀られたのを創建とする。なお、遠江国府は、元は御殿・二之宮地区(現・JR「磐田」駅南口付近)にあり、当神社も同地内にあったが、その後の海進により、国府ともども現在地に移転したとも伝えられている。当神社の主祭神は誉田別命(応神天皇)だが、その父母の足仲彦命(仲哀天皇)と気長足姫命(神功皇后)を併せ祀る。
実は、遠江国だけではなく、各地に国府八幡宮とか府中八幡宮とかと呼ばれる八幡宮が存在する。当神社のように、国府の守護神として勧請されたとする場合が多いが、国分寺の鎮守とする例もあるという。国府に近いことから、総社の機能を有した神社もあるようだ。個人的には、ここまで八幡信仰が広まったのは中世的な現象(平安末期からの武士、特に清和源氏の勢力拡大と最も神仏混淆的な八幡大菩薩信仰の拡大)ではないかと考えているので、国府設置時から八幡宮が勧請されていたかは疑問に思っている。国府に付属する神社があったらしいことは、ほぼ間違いないと思うけれども、それは八幡宮に限らない。むしろ、元は、国司が個人的に信仰する氏神を(国府に、というよりは、国司邸に)勧請したのではないか、と思う。
さて、当神社については、社伝のとおり国府の鎮守だったかもしれないし、(国分寺との位置関係からして)国分寺の鎮守だったかもしれない。そもそも遠江国については、式内社の論社が多くて複雑になっており、当神社も式内社「御祖神社」、同「入見神社」、同「須波若御子神社」の論社となっているという。いずれにしても、古代の遠江国の中心部に位置する古社として、今日まで信仰を集めていることは確かなことである。
ところで、遠江国府所在地のことだが、「御殿・二之宮遺跡」から墨書土器や木簡が出土し、さらには大規模建物や祭祀場らしい跡も発見されて国府跡の有力候補となった。しかし、海に近すぎる(かつては、少なくとも現在のJR東海道新幹線の線路付近が海岸線であったらしい。)ので、疑問も残る。武部健一著「古代の道」(2004年10月)によれば、JR「磐田」駅付近(「御殿・二之宮遺跡」)に遠江国府と古代東海道の「引摩(いんま)」駅家があった。その東側には「今ノ浦」という町名が残るが、その名の通り、入江になっており、国府津があった、とみられる。平安時代末期には、遠江国府は約2km北へ移転したが、駅路と「引摩」駅家はそのまま残った、という。


府八幡宮のHP

静岡県神社庁のHPから(府八幡宮)

玄松子さんのHPから(府八幡宮)

東海まちづくり研究所さんのHPから(御殿・二之宮遺跡)


写真1:「府八幡宮」大鳥居


写真2:立派な楼門。寛永12年(1635年)建立で、県指定文化財。


写真3:社殿
コメント
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