弓田香取神社(ゆだかとりじんじゃ)。
場所:茨城県坂東市弓田274。国道354号線「岩井交番前」から県道20号線(結城坂東線)に入り、北東へ約3km。「弓田のポックリ不動尊」の案内板のところから狭い道を西へ入り、約700m。駐車スペース有り。県道から先の道路は狭いので注意。
当神社の創建時期は不明だが、この辺りに律令時代から兵営(古代の軍団?)があり、その守護神として祀られたものという(祭神:経津主命)。承平3年(933年)には平将門も参拝したという。また、当神社と、約300m東にある「慈光寺」(通称「弓田のポックリ不動尊」)との間は「兵庫屋敷」(武器庫)と呼ばれており、平将門は、「承平天慶の乱」を起こすのに律令以来の軍団や武器庫を自らの為に利用したらしいという。なお、近くには「談義所」という小字のほか、駒跿(こまはね)、馬立(またて)などといった地名があって、いかにも軍事的な意味がありそうだが、「弓田(ゆだ)」というのは、元は「湯田」で、「火急のときに用立てる資金を得る田」という意味だそうである。
ちなみに、「慈光寺」も奈良時代創建の伝承を持つ寺院である。概要は次の通り。
明王山 知恩院 慈光寺(みょうおうさん ちおんいん じこうじ)。
場所:茨城市坂東市弓田388-2。駐車場有り。
寺伝によれば、天平18年(746年)に行基菩薩の高弟が創建し、悪魔降伏のため不動明王を本尊とした。元は法相宗で「知恩院」と称したが、鎌倉時代初期に天台宗に改宗し、「慈光寺」と称した。戦国時代には諸堂が戦火に遭ったが、不動明王像は自らイチョウの大木に避難して無事だったという。不動明王像が安置されている不動堂は、元は阿弥陀堂で、この不動尊を拝むと、その願いが阿弥陀仏に届き、臨終に際して苦しまずにポックリと逝けるとして「ポックリ不動尊」として信仰を集めているという。「北関東三十六不動尊霊場」の第35番札所。
坂東市のHPから(弓田の不動尊)
「北関東三十六不動尊霊場」のHPから(慈光寺)
写真1:「弓田香取神社」正面
写真2:社殿
写真3:境内に「榊山古墳群」と「中北遺跡」の石碑がある。当神社は古墳上にあったらしいが、現在は消滅。「中北遺跡」は周囲の集落跡で、現在は畑になっているらしい。
写真4:「慈光寺」入口。「ポックリ不動尊」の名も見える。
写真5:不動堂
場所:茨城県坂東市弓田274。国道354号線「岩井交番前」から県道20号線(結城坂東線)に入り、北東へ約3km。「弓田のポックリ不動尊」の案内板のところから狭い道を西へ入り、約700m。駐車スペース有り。県道から先の道路は狭いので注意。
当神社の創建時期は不明だが、この辺りに律令時代から兵営(古代の軍団?)があり、その守護神として祀られたものという(祭神:経津主命)。承平3年(933年)には平将門も参拝したという。また、当神社と、約300m東にある「慈光寺」(通称「弓田のポックリ不動尊」)との間は「兵庫屋敷」(武器庫)と呼ばれており、平将門は、「承平天慶の乱」を起こすのに律令以来の軍団や武器庫を自らの為に利用したらしいという。なお、近くには「談義所」という小字のほか、駒跿(こまはね)、馬立(またて)などといった地名があって、いかにも軍事的な意味がありそうだが、「弓田(ゆだ)」というのは、元は「湯田」で、「火急のときに用立てる資金を得る田」という意味だそうである。
ちなみに、「慈光寺」も奈良時代創建の伝承を持つ寺院である。概要は次の通り。
明王山 知恩院 慈光寺(みょうおうさん ちおんいん じこうじ)。
場所:茨城市坂東市弓田388-2。駐車場有り。
寺伝によれば、天平18年(746年)に行基菩薩の高弟が創建し、悪魔降伏のため不動明王を本尊とした。元は法相宗で「知恩院」と称したが、鎌倉時代初期に天台宗に改宗し、「慈光寺」と称した。戦国時代には諸堂が戦火に遭ったが、不動明王像は自らイチョウの大木に避難して無事だったという。不動明王像が安置されている不動堂は、元は阿弥陀堂で、この不動尊を拝むと、その願いが阿弥陀仏に届き、臨終に際して苦しまずにポックリと逝けるとして「ポックリ不動尊」として信仰を集めているという。「北関東三十六不動尊霊場」の第35番札所。
坂東市のHPから(弓田の不動尊)
「北関東三十六不動尊霊場」のHPから(慈光寺)
写真1:「弓田香取神社」正面
写真2:社殿
写真3:境内に「榊山古墳群」と「中北遺跡」の石碑がある。当神社は古墳上にあったらしいが、現在は消滅。「中北遺跡」は周囲の集落跡で、現在は畑になっているらしい。
写真4:「慈光寺」入口。「ポックリ不動尊」の名も見える。
写真5:不動堂