神が宿るところ

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六所神社(下総国総社)(千葉県市川市)

2013-01-19 23:56:39 | 神社
六所神社(ろくしょじんじゃ)。
場所:千葉県市川市須和田2-22-7。国道14号線(千葉街道)「新田五丁目」交差点から北へ、約900m。JR総武本線「市川」駅からも1.2kmほど。駐車スペースあり。
社伝によれば、景行天皇の勅願により創建されたもの(西暦115年頃?)で、下総国の総社とされている。国司には官社(式内社)を巡拝する義務があったが、交通不便な中、相当な困難があったと思われる。そうしたことから、国府の近くに「総社」を設け、ここにお参りすることによって全ての官社を廻ったことにすることが普通になった。偶々、国府の近くに式内社があった場合には、その式内社を総社にしたケースもあるが、下総国は「六所神社」という神社を創設したものだろう(したがって、創建時期は平安時代後半以降と思われる。)。総社というのは国内の神様を集めた神社であるから、祭神が多いのが普通で、当神社も主祭神は大己貴尊であるが、ほかに伊弉諾尊、素盞嗚尊、大宮売尊、布留之御魂、彦火瓊々杵尊の合わせて6柱の神を祀る(これにより「六所神社」と称する。)。因みに、相模国や安房国の総社も「六所神社」といい、武蔵国総社の「大國魂神社」は元は「六所宮」と称していた。ただし、それぞれの祭神は同じではない。そもそも、官社(式内社)巡拝を簡便に行うために総社が創設されたとすると、同国内の式内社の全ての祭神を祀らなければならないはずである(全国の総社の中には、そのような神社が存在する。)。しかし、なぜ6柱だけなのか。一説には、国内の神社を統括する役所を意味する「録所」が語源であるともされる。
さて、下総国の総社である当神社は、下総国府域内にあったと考えられている。総社の機能からすれば、当然だろう。で、その場所は、現在の国府台公園内で、旧鎮座地には「下総総社跡」という石碑と説明板が設置されている(写真3)。明治19年に国府台一帯が陸軍練兵場として買収され、当神社も現在地に遷座することになった。なお、軍用地となった後も、旧鎮座地には「六所の森」または「四角の森」という森が残っていたという。「四角の森」というのは、国庁が南向きの正方位で建てられるのが通例だったことを考えると、当神社も正方位に従った方形の境内地があった、とも考えられるのではないだろうか。


玄松子さんのHPから(六所神社(市川市))


写真1:「六所神社」


写真2:「景行天皇勅願所 府中六所宮」の石碑


写真3:元の鎮座地にある「下総総社跡」の石碑(場所:千葉県市川市国府台1-6-4。国府台公園内の野球場の北側。駐車場有り)
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