神之台(かんのだい、かんのんだい)。
場所:千葉県習志野市津田沼6-7付近。国道14号線沿いの「さぎ沼一郵便局」の西側の狭い道路を約100m北へ(ただし、この道路は一方通行で、国道側が出口になっている。)。駐車場なし。
「神之台」は、「菊田神社」(2013年10月19日記事参照)の由緒にいう藤原師経卿らの左遷伝承における上陸地とされる。同じく東京湾を渡った一族の者たちは時化で上総国に流されたので、「神之台」から師経卿らの上陸地を知らせる狼煙を上げたという。現在は暗渠化されているため分かり難いが、この辺りに菊田川の河口があり、昭和40年代頃までは「神之台」の前(東側)は三角州状の水田となっていたらしい。
ところで、師経卿の左遷伝説であるが、これは史実に反する。藤原師経という名の人物は1人だけではないが、後白河法皇の権臣であった西光(俗名:藤原師光)の子で、加賀国の目代(国司の代官)となった人物を指すものとみられている。彼は、加賀国での「比叡山 延暦寺」の末寺に対する横暴な振る舞いにより、比叡山大衆が神輿を担いで強訴を起こすという事件を発生させたとされる。この事件が「鹿ケ谷の陰謀」の遠因になったとされ、結局、安元3年(1177年)に京都・六条河原で斬首された。
したがって、「神之台」伝承自体が、あくまでも伝説に過ぎないことになる。そもそも、いくら貴族とはいっても、この伝承から「神」を持ち出すのは無理があるのではないだろうか。妄想レベルだが、より前の時代の、駅路を馬を駆けさせるより早い連絡方法であった「烽火(とぶひ)」が行われた場所ではなかったか、とも思う。
なお、近くにある「根神社」は円墳上に社殿が建てられているとされ、また、「八剣神社」は「鷺沼御旅館」のあった場所ともいわれている(「八剣神社」も円墳のような小丘上にあるが、こちらは古墳ではないのだろうか?)。
船橋市のHPから(「平成21年 下総三山の七年祭り」の記録)
写真1:「神之台」入口。周囲より少し高くなっている。奥は鉤型になっていて、左側の家の裏側で神事が行われる。
写真2:「根神社」(場所:習志野市鷺沼1-8付近)。祭神:面足尊ほか
写真3:同上。少し引いて撮影。住宅に囲まれ、写真では円墳であることが分かり難い。
写真4:同上、社殿
写真5:「八剣神社」(場所:習志野市鷺沼3-14付近)。祭神:日本武尊ほか
写真6:同上、社殿。「根神社」の社殿とそっくり。
場所:千葉県習志野市津田沼6-7付近。国道14号線沿いの「さぎ沼一郵便局」の西側の狭い道路を約100m北へ(ただし、この道路は一方通行で、国道側が出口になっている。)。駐車場なし。
「神之台」は、「菊田神社」(2013年10月19日記事参照)の由緒にいう藤原師経卿らの左遷伝承における上陸地とされる。同じく東京湾を渡った一族の者たちは時化で上総国に流されたので、「神之台」から師経卿らの上陸地を知らせる狼煙を上げたという。現在は暗渠化されているため分かり難いが、この辺りに菊田川の河口があり、昭和40年代頃までは「神之台」の前(東側)は三角州状の水田となっていたらしい。
ところで、師経卿の左遷伝説であるが、これは史実に反する。藤原師経という名の人物は1人だけではないが、後白河法皇の権臣であった西光(俗名:藤原師光)の子で、加賀国の目代(国司の代官)となった人物を指すものとみられている。彼は、加賀国での「比叡山 延暦寺」の末寺に対する横暴な振る舞いにより、比叡山大衆が神輿を担いで強訴を起こすという事件を発生させたとされる。この事件が「鹿ケ谷の陰謀」の遠因になったとされ、結局、安元3年(1177年)に京都・六条河原で斬首された。
したがって、「神之台」伝承自体が、あくまでも伝説に過ぎないことになる。そもそも、いくら貴族とはいっても、この伝承から「神」を持ち出すのは無理があるのではないだろうか。妄想レベルだが、より前の時代の、駅路を馬を駆けさせるより早い連絡方法であった「烽火(とぶひ)」が行われた場所ではなかったか、とも思う。
なお、近くにある「根神社」は円墳上に社殿が建てられているとされ、また、「八剣神社」は「鷺沼御旅館」のあった場所ともいわれている(「八剣神社」も円墳のような小丘上にあるが、こちらは古墳ではないのだろうか?)。
船橋市のHPから(「平成21年 下総三山の七年祭り」の記録)
写真1:「神之台」入口。周囲より少し高くなっている。奥は鉤型になっていて、左側の家の裏側で神事が行われる。
写真2:「根神社」(場所:習志野市鷺沼1-8付近)。祭神:面足尊ほか
写真3:同上。少し引いて撮影。住宅に囲まれ、写真では円墳であることが分かり難い。
写真4:同上、社殿
写真5:「八剣神社」(場所:習志野市鷺沼3-14付近)。祭神:日本武尊ほか
写真6:同上、社殿。「根神社」の社殿とそっくり。