神が宿るところ

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遠賀美神社

2014-12-13 23:33:30 | 神社
遠賀美神社(おがみじんじゃ)。
場所:山形県酒田市飛島勝浦乙4。「飛島港」の定期船乗り場近く。
当神社の創建時期は不明。「遠賀美」は現在では「おがみ」としているが、古くは「賀」の字は濁らないので、本来「おかみ」という呼び方が正しい。現在の「遠賀美神社」の祭神は大海津見命(オオワタツミ)など6神であるが、元々は「龗」または「淤加美」神で、水神であろうと思われる。そもそも「遠賀美神社」の本殿は、「飛島」の西沖約2kmにある「御積島(おしゃくじま)」の洞窟であり、内部は光り輝く龍の鱗が連なるような形状の岩壁となっていることから、「白龍」または「倶梨伽羅不動」等と呼ばれる龍神を祀っていたという。かつては女人禁制の島であり、龍神は人工物を嫌い、石灯籠等を設置しても直ぐに流されてしまうとされていた。こうしたことから、「御積島」と向かい合う「飛島」の西海岸に遥拝殿として「遠賀美神社」を建てた。これが現在も残る通称「明神社」である。ただし、ここも、海岸の遊歩道を徒歩で通うしか交通手段がないため不便であり、現在地に「遠賀美神社」を建立したとされる(したがって、現在の「遠賀美神社」も遥拝殿という位置づけである。)。
さて、前項で書いた「小物忌神社」(飛島)が何故「大宮神社」と呼ばれるようになったのか、ということであるが、それは次のような事情によるという。即ち、元文3年(1738年)、公儀による「神改め」が行われることになり、その際に立派な御神体は持っていかれるという噂が立った。これを恐れた島民は御神体(衣冠姿の神像とのこと。)を抱えて竹薮に身を潜め、役人には「明神社」を「小物忌神社」であるとして案内した。現在も「明神社」の屋根瓦に、丸に「小」の文字が意匠されているのは、その偽装のためだという。それ以来、本来の「小物忌神社」という名は隠され、「大宮神社」と呼ばれるようになったということである。御神体が持ち去られるということがあるはずはないが、これが他の神社に「小物忌神社」という由緒ある名を名乗らせようとする島内の真言宗「円福院」の陰謀であったということになっている。
「飛島」は周囲10.2km、面積 2.7平方km、住民300人足らずという小さな島だが、神秘の島である。

参考文献:粕谷昭二著「日本海の孤島 飛島」(2010年7月)


写真1:飛島港近くにある「遠賀美神社」


写真2:「賽ノ磧(さいのかわら)」。飛島港から遊歩道を西側に廻り込んだところにある。丸くて平たい石が大量に流れ着いたもの。「明神社」はこの先。


写真3:「明神社」入口の鳥居。神社は石塁に囲われている。


写真4:同上社殿(拝殿?)。海側、即ち、「御積島」の方を向いている。


写真5:同上(本殿?)。「明神社」の祭神は級長戸辺命・級長津彦命(「小物忌神社」(飛島)と同じ)となっている。


写真6:「御積島」。「鳥海山」山麓の吹浦の海岸から御札を流すと、この島に流れ着いて積み重なったということから、その名がついたという。


写真7:秋田県にかほ市側から見た「飛島」。テーブルのように平に見える。
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