神が宿るところ

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高清水霊泉

2015-08-22 23:40:05 | 史跡・文化財
高清水霊泉(たかしみずれいせん)。
場所:秋田県秋田市寺内大小路。国道7号線(臨海バイパス)「港大橋前」交差点から北東に進み、突き当りを左折(北西へ)して約600m進んで「古四王神社」前の狭い道路(通称「桜小路」)を西へ約130m進むと案内標柱と石碑があり、そこから未舗装路を谷に向って(南に)下りる。駐車場なし。
伝承によれば、斉明天皇4年(658年)、征夷大将軍・阿倍比羅夫が当地に下向した際、自らの祖である大彦命を祀った(前項「古四王神社」参照)ところ、霊泉が湧き出したという。現在も滾々と湧き出しており、衛生上の問題から飲用不可とされているものの、(公財)秋田県総合保健事業団の調査によれば、大腸菌等が検出されず、良い水質であったという。
なお、「高清水霊泉入口」の向かい側(北側)に「古四王神社」の別当寺「亀甲山 四天王寺 東門院」があったという。「東門院」は、秋田城の付属寺院とされる「四天王寺」の後身といわれ、江戸時代には領主・佐竹氏の祈願所「宝鏡寺」の隠居寺とされたが、明治時代に廃寺となった。
因みに、「桜小路」は旧「羽州街道」といわれているらしい。「古四王神社」前の道路は旧国道7号線であるが、どうやら、「秋田城跡」までの旧国道7号線が古代の駅路(東山道)の後身でもあるようだ。古代東山道は「秋田城」(=出羽国府)が終着駅であったようで、「延喜式」にも「秋田」という駅家の記載がある。また、東山道には「水駅」があり、最上川・雄物川の水運も利用したようだ。「秋田城跡」のある高清水岡の西側を通る現在の国道7号線(通称「臨海バイパス」)は、元は雄物川の河道であり、「桜小路」を下りていったところに「船着場跡」というところがある。また、その近くに、江戸時代の紀行家・菅江真澄の墓がある。菅江真澄は、「秋田城跡」が高清水岡にあることを予言したほか、古代の出羽国の史跡について鋭い考察を行っており、参考になる。


写真1:「高清水霊泉入口」の案内標柱と「高清水」の石碑


写真2:「高清水霊泉」


写真3:「旭さし木」。「高清水霊泉」に向う途中にある。樹齢約1200年といわれるケヤキ(欅)で、秋田市内で最も古い樹木とされる(秋田市指定天然記念物)。樹高約20m、目通り約7m。当地に「旭(朝日)」という長者がおり、その屋敷の目印になっていたため、その名があるという。なお、この木の根元からも泉が湧いており、眼病にきく「目洗水」または「亀の尾水」とも呼ばれていたという。


写真4:小川の流れに従い、下りていったところが「船着場跡」らしい。なお、写真左下に見えるのが「伽羅橋(きゃらはし)」(または「香炉木橋(こうろぎばし)」)。昔、大阪から来た船人が誤って煙草の火を落としたところ、良い香りがした。橋に使われていた木材は貴重な香木であり、船人はその香木を大阪に送って大金持ちになったという伝説がある。


写真5:「菅江真澄の墓」。「伽羅橋」の向かい側の墓地内。
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