空素沼神社(からすぬまじんじゃ)。
場所:秋田県秋田市寺内高野2-17。旧国道(7号線)沿い、「古四王神社」の西端から北東へ約600m進むと白塗りの鳥居がある。社殿は、そこから北~北西に約150m。駐車場なし。
当地には元々「狼沢」という小沢と田地があったが、元禄元年(1688年)、一夜にして大沼になってしまった。その沼の形がカラス(烏)が羽を広げたように見えることから「空素沼」と呼ぶようになったという。あるいは、行ったものが帰って来ないということで「帰らずの沼」が訛ったものともいう。出羽久保田藩第9代佐竹義和公(1775~1815年)のとき大旱魃があり、当時有徳とされた「亀像山 補陀寺」の徳善、「正法山 長谷寺(通称:赤田の大仏)」の是山、「万国山 天徳寺」の義産を招いて雨乞い修法を行ったところ忽ち霊験があり、「空素沼」南岸に神社を建立して龍神を祀った。これが当神社の創建とされる。現在の祭神は高龗神(タカオカミ)。
ただし、「秋田県史」では、「日本三代実録」貞観7年(865年)条の「出羽国高泉神に従五位下を授与する」記事にいう「高泉神(たかしみずのかみ)」を当神社のことと推定している。「秋田城跡」付近では「高清水霊泉」など多くの泉があるが、「狼沢」=「大神沢」というのが1つの根拠とみられる。ただ、「狼沢」の読み方は「オホイヌサワ」で、付会の感が否めない。また、本来は「生稲沢(おいねさわ)」であるという説もある。こうしたことから、「高泉神」が秋田・高清水岡の泉を祀った自然神であったとしても、それを当神社に当てるのは無理があるように思われる。
秋田県神社庁のHPから(空素沼神社)
写真1:旧国道(7号線)沿い、「護国神社前」バス停付近にある「空素沼神社」の鳥居と石碑。後ろの建物は民家で、社殿はここから北東に約700mのところにある。
写真2:社殿への参道入口の鳥居。「空素沼神社」の扁額が掛けられている。
写真3:社殿前の鳥居と社号標
写真4:社殿
写真5:境内の題目碑。天満宮天神と空素沼龍神の名も見え、雨乞いの神だったことがわかる。
写真6:同じく境内の「小野小町塚」の碑。昭和18年に「おばこ川柳会」がおばこの代表として小野小町を選び、建立したものというが、何故ここに?
写真7:「空素沼」。確かに神秘的な感じがある。標高約30mほどで、丘(高清水岡)の中段辺りにある。
場所:秋田県秋田市寺内高野2-17。旧国道(7号線)沿い、「古四王神社」の西端から北東へ約600m進むと白塗りの鳥居がある。社殿は、そこから北~北西に約150m。駐車場なし。
当地には元々「狼沢」という小沢と田地があったが、元禄元年(1688年)、一夜にして大沼になってしまった。その沼の形がカラス(烏)が羽を広げたように見えることから「空素沼」と呼ぶようになったという。あるいは、行ったものが帰って来ないということで「帰らずの沼」が訛ったものともいう。出羽久保田藩第9代佐竹義和公(1775~1815年)のとき大旱魃があり、当時有徳とされた「亀像山 補陀寺」の徳善、「正法山 長谷寺(通称:赤田の大仏)」の是山、「万国山 天徳寺」の義産を招いて雨乞い修法を行ったところ忽ち霊験があり、「空素沼」南岸に神社を建立して龍神を祀った。これが当神社の創建とされる。現在の祭神は高龗神(タカオカミ)。
ただし、「秋田県史」では、「日本三代実録」貞観7年(865年)条の「出羽国高泉神に従五位下を授与する」記事にいう「高泉神(たかしみずのかみ)」を当神社のことと推定している。「秋田城跡」付近では「高清水霊泉」など多くの泉があるが、「狼沢」=「大神沢」というのが1つの根拠とみられる。ただ、「狼沢」の読み方は「オホイヌサワ」で、付会の感が否めない。また、本来は「生稲沢(おいねさわ)」であるという説もある。こうしたことから、「高泉神」が秋田・高清水岡の泉を祀った自然神であったとしても、それを当神社に当てるのは無理があるように思われる。
秋田県神社庁のHPから(空素沼神社)
写真1:旧国道(7号線)沿い、「護国神社前」バス停付近にある「空素沼神社」の鳥居と石碑。後ろの建物は民家で、社殿はここから北東に約700mのところにある。
写真2:社殿への参道入口の鳥居。「空素沼神社」の扁額が掛けられている。
写真3:社殿前の鳥居と社号標
写真4:社殿
写真5:境内の題目碑。天満宮天神と空素沼龍神の名も見え、雨乞いの神だったことがわかる。
写真6:同じく境内の「小野小町塚」の碑。昭和18年に「おばこ川柳会」がおばこの代表として小野小町を選び、建立したものというが、何故ここに?
写真7:「空素沼」。確かに神秘的な感じがある。標高約30mほどで、丘(高清水岡)の中段辺りにある。