跡宮(あとのみや)。
場所:茨城県鹿嶋市神野4丁目1-12。茨城県道18号線(茨城鹿島線)「鹿島小前」交差点の少し南から「鹿島小学校」の横(東側)を通る道路を南に約800m進んだ右側(西側)。駐車スペース有り。
「鹿島神宮」の境外摂社の1つだが、由緒は不明。ただし、伝承によれば、鹿島大神が初めて天降られた場所であるといい、「鹿島神宮」本宮の祭礼の前日に当社を祀るとしている。また、「春日大社」(奈良県)に分霊されるに当たり、ここから「鹿島立ち」(出発)したとの言い伝えもあるらしい。
また、かつては、当神社の傍らに、亀卜によって選ばれた「物忌」と呼ばれる女性祭主が住んでいたという。「物忌」の地位は極めて高く、明治時代までは男子が立ち入ることが許されなかった「鹿島神宮」本殿の内陣で奉仕する役目を担っていた。穢れを知らぬ童女の頃から出仕して普段は「物忌館」に籠り、移動の際も男性の眼に触れぬように輿に乗っていたとのこと。
写真1:「跡宮」の道路に面した鳥居と社号標
写真2:社殿正面の鳥居
写真3:社殿
写真4:境内の意味ありげな囲い(礎石のようなものがあるが詳細不明)
場所:茨城県鹿嶋市神野4丁目1-12。茨城県道18号線(茨城鹿島線)「鹿島小前」交差点の少し南から「鹿島小学校」の横(東側)を通る道路を南に約800m進んだ右側(西側)。駐車スペース有り。
「鹿島神宮」の境外摂社の1つだが、由緒は不明。ただし、伝承によれば、鹿島大神が初めて天降られた場所であるといい、「鹿島神宮」本宮の祭礼の前日に当社を祀るとしている。また、「春日大社」(奈良県)に分霊されるに当たり、ここから「鹿島立ち」(出発)したとの言い伝えもあるらしい。
また、かつては、当神社の傍らに、亀卜によって選ばれた「物忌」と呼ばれる女性祭主が住んでいたという。「物忌」の地位は極めて高く、明治時代までは男子が立ち入ることが許されなかった「鹿島神宮」本殿の内陣で奉仕する役目を担っていた。穢れを知らぬ童女の頃から出仕して普段は「物忌館」に籠り、移動の際も男性の眼に触れぬように輿に乗っていたとのこと。
写真1:「跡宮」の道路に面した鳥居と社号標
写真2:社殿正面の鳥居
写真3:社殿
写真4:境内の意味ありげな囲い(礎石のようなものがあるが詳細不明)