陰陽神社(いんようじんじゃ)。
場所:茨城県常陸大宮市山方4927。国道118号線「岩井橋」交差点から茨城県道29号線(常陸太田那須烏山線)に入り西へ、約2.4kmのところに案内看板があり、その先の側道を下りて直進すると鳥居前~駐車場。ただし、側道からは狭い道路なので、手前に「南皆沢公園」の広い駐車場があるので、そこに止めるのも良い。社殿までは鳥居前から徒歩約15分。
当神社の創建には、つぎのような話が伝わっている。水戸藩第2代藩主・徳川光圀が領内巡回の際、上大賀村(現・常陸大宮市上大賀)から北西を眺めると、径一尺(約30cm)ほどの金色の玉が飛んできて、十間(約18m)くらいに落ちて消えた。玉が飛んできた方角の岩山に登ってみると、山頂近くに「夫婦岩」と呼ばれる2つ並んだ巨岩があったので、「陰陽岩」と改称した巨岩を御神体として「陰陽山大権現」とし元禄4年(1691年)に社殿を建立した。これが現在の「陰陽神社」で、野上・ 長田・上大賀・小貫・西野内・舟生・山方の7村の鎮守とされていたという。東側の小ぶりな岩(高さ10m、幅23m、厚さ2.5m)を陰石(胎蔵界)、西側の大きな石(高さ8.8m、幅5.6、厚さ1.9m)を陽石(金剛界)とする。祭神は伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)で、夫婦和合・子授けの御利益のほか、雨乞いのときは陰石に、日照が欲しいときは陽石に祈願するという。ところが、残念なことに、平成23年の東日本大震災によって「陰陽岩」が倒れ、修復不可能な状態となってしまったとのこと。
さて、当神社については、巨岩だけでなく、ユニークな狛犬があることでも知る人ぞ知る存在らしい。胴長・短足で、高麗(10~14世紀に朝鮮半島にあった国)で狩りに使われた犬を模したものという説明がある。他の神社の「狛犬」も、「高麗犬」が語源だが、元々は「獅子」(ライオン)であって、犬ではない。当神社の狛犬も、実は「貔貅(ひきゅう)」と呼ばれる中国の伝説上の猛獣だそうで、貔が雄で、貅が雌ともいわれる。本来、邪悪を退ける動物ということだったが、金を食べる一方、尻の穴がないので、金を腹に貯め込むというところから、財神としての伝説も生まれたという。ということもあってか、元は寛政10年(1798年)建立のものがあったのだが、吽形の方が盗難に遭ったとかで、現在のものはその後再建されたものらしい。自然に崩壊することはやむを得ないが、人の手で損傷するのは止めてほしいものである。
茨城県神社庁のHPから(陰陽神社)
「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHPから(陰陽神社):よく参照させていただいているHP。震災前に訪問されたようで、貴重な画像があります。
写真1:「陰陽神社」一の鳥居
写真2:参道の石段と二の鳥居
写真3:本殿が見えてくる。
写真4:本殿。なお、奉納された絵馬を見ると、夫婦和合・縁結びなどは殆どなく、合格祈願が多かった。
写真5:ユニークな狛犬、阿形。
写真6:同上、吽形。
写真7:崩壊した陰陽石の跡
写真8:山頂付近の尖った巨岩
写真9:崩れた岩
場所:茨城県常陸大宮市山方4927。国道118号線「岩井橋」交差点から茨城県道29号線(常陸太田那須烏山線)に入り西へ、約2.4kmのところに案内看板があり、その先の側道を下りて直進すると鳥居前~駐車場。ただし、側道からは狭い道路なので、手前に「南皆沢公園」の広い駐車場があるので、そこに止めるのも良い。社殿までは鳥居前から徒歩約15分。
当神社の創建には、つぎのような話が伝わっている。水戸藩第2代藩主・徳川光圀が領内巡回の際、上大賀村(現・常陸大宮市上大賀)から北西を眺めると、径一尺(約30cm)ほどの金色の玉が飛んできて、十間(約18m)くらいに落ちて消えた。玉が飛んできた方角の岩山に登ってみると、山頂近くに「夫婦岩」と呼ばれる2つ並んだ巨岩があったので、「陰陽岩」と改称した巨岩を御神体として「陰陽山大権現」とし元禄4年(1691年)に社殿を建立した。これが現在の「陰陽神社」で、野上・ 長田・上大賀・小貫・西野内・舟生・山方の7村の鎮守とされていたという。東側の小ぶりな岩(高さ10m、幅23m、厚さ2.5m)を陰石(胎蔵界)、西側の大きな石(高さ8.8m、幅5.6、厚さ1.9m)を陽石(金剛界)とする。祭神は伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)で、夫婦和合・子授けの御利益のほか、雨乞いのときは陰石に、日照が欲しいときは陽石に祈願するという。ところが、残念なことに、平成23年の東日本大震災によって「陰陽岩」が倒れ、修復不可能な状態となってしまったとのこと。
さて、当神社については、巨岩だけでなく、ユニークな狛犬があることでも知る人ぞ知る存在らしい。胴長・短足で、高麗(10~14世紀に朝鮮半島にあった国)で狩りに使われた犬を模したものという説明がある。他の神社の「狛犬」も、「高麗犬」が語源だが、元々は「獅子」(ライオン)であって、犬ではない。当神社の狛犬も、実は「貔貅(ひきゅう)」と呼ばれる中国の伝説上の猛獣だそうで、貔が雄で、貅が雌ともいわれる。本来、邪悪を退ける動物ということだったが、金を食べる一方、尻の穴がないので、金を腹に貯め込むというところから、財神としての伝説も生まれたという。ということもあってか、元は寛政10年(1798年)建立のものがあったのだが、吽形の方が盗難に遭ったとかで、現在のものはその後再建されたものらしい。自然に崩壊することはやむを得ないが、人の手で損傷するのは止めてほしいものである。
茨城県神社庁のHPから(陰陽神社)
「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHPから(陰陽神社):よく参照させていただいているHP。震災前に訪問されたようで、貴重な画像があります。
写真1:「陰陽神社」一の鳥居
写真2:参道の石段と二の鳥居
写真3:本殿が見えてくる。
写真4:本殿。なお、奉納された絵馬を見ると、夫婦和合・縁結びなどは殆どなく、合格祈願が多かった。
写真5:ユニークな狛犬、阿形。
写真6:同上、吽形。
写真7:崩壊した陰陽石の跡
写真8:山頂付近の尖った巨岩
写真9:崩れた岩