神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

日枝神社(茨城県土浦市小田)

2020-08-22 23:19:14 | 神社
日枝神社(ひえじんじゃ)。愛称:沢辺山王権現。
場所:茨城県土浦市沢辺・小野・東城寺入会地127-1(HPの表記。住居表示では「小野127-1」で良い模様。)。茨城県道199号線(小野土浦線、通称「フルーツライン」)「朝日トンネル南」交差点から西へ約300m、交差点を左折(南西へ)、約400mのところに「日枝神社」という大きな社号標が立っている。そこを右折(北西へ)、約300mで社殿前。駐車場有り。
社伝によれば、大同2年(807年)に五穀豊穣の作神として近江国式内社「日吉大社」(現・滋賀県大津市)の神霊を勧請して創建。延暦15年(796年)に創建された「東成寺」(現・「東城寺」、前項)の鎮守であり、神仏混淆が長く続き、宝永5年(1708年)には「正一位沢辺山山王権現」の称号を賜り、「山ノ荘」地区8カ村の総社とされた。 明治2年、「日枝神社」に改称。現在の祭神は、大山咋命。
さて、当神社の神事として行われる流鏑馬(やぶさめ)は、日本三大山王流流鏑馬の1つとされる(他の2つは滋賀県大津市「日吉大社」と東京都千代田区「日枝神社」(所謂、赤坂の日枝神社)という。)。長さ150mの馬場に3本の的に対して7回(合計21本)、馬上から鎧武者姿で的を射る古式ゆかしい行事で、弘仁元年(810年)に始まったと伝えられ、 現在の形になったのは鎌倉時代頃とされる。毎年4月の第1日曜日に開催され、茨城県の無形民俗文化財に指定されている。この神事の始まりについては、次のような伝説がある。昔、当神社の境内に「幸加」(ネムノキ)の大木があり、そこに大猿が棲みついて、村の作物を喰い荒らすなど村人を困らせていた。供物を捧げても一向に収まらず、ついには「東成寺」の稚児を人身御供にするほどまでになった。これを聞いた大志戸甲山城主・小神野従羅天が弓の達人・市川将監に助力を頼み、大猿を退治した、というものである。流鏑馬祭にストーリーがあること、農村の平和と五穀豊穣を祈る目的であることというのは珍しいらしい。
ところで、全国に約3,800社あるという「日吉神社」、「日枝神社」、「山王神社」などは、基本的に「日吉大社」(「山王総本宮」と称する。)の分社といわれており、謂れは不明だが、猿を神使としている。これを「真猿(まさる)」といい、狛犬の代わりに猿像が置かれているところも多い。それが、ここでは退治される存在となっていることは意外で、面白いが、それだけ身近な存在だったということなのだろう。


茨城県神社庁のHPから(日枝神社)

土浦市のHPから(日枝神社流鏑馬祭)


写真1:「日枝神社」一の鳥居。この先、真っ直ぐな参道で流鏑馬祭が行われる。


写真2:二の鳥居。鳥居の後ろの石灯篭は永正8年(1511年)に奉納されたもので、茨城県の指定文化財。


写真3:流鏑馬祭の碑


写真4:拝殿。現在の社殿は延享3年(1746年)に再建されたものという。


写真5:本殿
コメント (2)
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