神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

大鹿山 長禅寺

2021-11-06 23:34:40 | 寺院
大鹿山 長禅寺(おおしかざん ちょうぜんじ)。
場所:茨城県取手市取手2-9-1。茨城県道11号線(取手東線)と茨城県道269号線(取手停車場線)の交差点の南東、約140mのところ(奈良漬で有名な「新六本店」がある。)で左折(北東へ)、約70mで参道入口。ただし、ここには駐車できないので、台地をぐるっと回って行って(約400m)、Uターンするような感じで進むと、境内に入れる道がある。なお、JR常磐線「取手」駅から、南へ徒歩約300m。
寺伝によれば、承平元年(931年)、平将門が祈願寺として創建したという。将門の死後に荒廃するが、御厨三郎吉秀という人物が将門の守り本尊とされる十一面観音像(伝・安阿弥(快慶)作)を密かに守り伝えた。承久元年(1219年)、吉秀の子孫で大鹿城主・織部時平の命により義門和尚を開祖として再興され、文暦元年(1234年)には四間四面堂を建立し、十一面観音像が安置された。江戸時代には、5石3斗の朱印地を受けていた。元は旧・大鹿村(現・取手市白山地区)にあったが、元禄9年(1696年)頃に現在地に移転した。水戸街道の付け替えで新たに「取手宿」ができたことにより、大鹿村の住民の多くが取手村に移ったためという。なお、「大鹿城」は現・「取手競輪場」のあるところで、城郭の遺構は全く残っていないらしい。現在は臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は延命地蔵菩薩。また、取手市、千葉県我孫子市・柏市に跨る「新四国相馬霊場八十八ヶ所」は、当寺院の観覚光音禅師が宝暦10年(1760年)頃に開創したとされ、当寺院が第1番札所(発願所)、第5番札所、第88番札所(結願所)となっている。
なお、境内の「三世堂」(観音堂)は、外観は2層に見えるが、内部は3層で、上りと下りの階段分かれているため、堂内で参拝者が交差せずに回れるようになっている(普段は内部公開していない。)。これを「三匝堂(さんそうどう)」又は「栄螺堂(さざえどう)」形式といい、当寺院を含めて全国に5棟しかないとされる。将門の守り本尊とされる十一面観音を堂本尊とし、1層に坂東三十三所観音札所、2層に秩父三十四所観音札所、3層に西国三十三所観音札所の各本尊の写しを安置していて、合計100体の観音像があることから、百観音堂とも呼ばれているとのこと。茨城県指定文化財。


茨城県教育委員会のHPから(長禅寺三世堂)


写真1:「長禅寺」境内入口付近にある「茨城百景 長禅寺」石碑


写真2:急な石段上にある山門(鐘楼)


写真3:山門を入って直ぐ右手にある「新四国相馬霊場八十八ヶ所 総拝堂」。(空海の)母堂尊像を祀る。以下、反時計回りに境内を回る。


写真4:「新四国相馬霊場八十八ヶ所 第5番札所」(弘法大師堂)。当寺院が第1番と第88番札所になることは最初から決まっていたが、第5番札所を予定していた寺院が辞退したため、第5番札所も引き受けることになったという。


写真5:「新四国相馬霊場八十八ヶ所 第88番札所」(弘法大師堂)


写真6:「鎮守 文殊堂」


写真7:「三世堂」。三世とは、過去世・現在世・未来世を指す。


写真8:小林一茶の句碑「下総の 四国廻りや 閑古鳥」。「霊山堂」前にあるが、見落とし易い。


写真9:「霊山堂」(弘法大師堂)。「新四国相馬霊場八十八ヶ所 第1番札所」となっている。


写真10:本堂
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