星宮神社(ほしみやじんじゃ)。
場所:茨城県龍ケ崎市若柴町683。茨城県道243号線(八代庄兵衛新田線)「若柴配水場入口」交差点から南西へ約450m。駐車スペース有り。
社伝によれば、延長2年(924年)、肥後国「八代神社」(現・熊本県八代市)から分霊を勧請して祀ったものとされる(誰が勧請したかは不明。なお、元慶4年(880年)創建という説もある。)。天慶4年(941年)、常陸大掾・平貞盛が拝殿を建立、寄進したという。境内に「駒止の石」があるが、これには次のような伝承がある。平貞盛(常陸平氏の祖・平国香の嫡男。平将門を討って従五位下に叙せられ、後に鎮守府将軍、陸奥守などを歴任した。)が当地を通りかかると、この石の前で馬が動かなくなった。見ると、そこに日頃信仰する「星野大明神」の祠があり、懇ろに参詣すると馬が再び歩き出したという。この石がどのようなものか、どの資料にも書かれていないが、参拝した際に偶々お会いした当神社の方に伺ったところによると、これは平国香愛用の手水石だったとのこと。もちろん真偽は不明だし、何故そのようなものがここにあるかは不思議だが、将門と国香らが戦ったとされる「藤代川合戦」(前項「伝 平国香供養塔」参照)に関係しているものかと思われる。
さて、当神社の現在の祭神は天御中主命であるが、近世までは妙見神だったと思われる(なお、「稲敷郡郷土史」(大正15年)では「祭神詳ならず」としている。)。上記「八代神社」も同様で、妙見神(妙見尊星王、妙見菩薩などともいう。)は北極星・北斗七星を神格化したものであって、神仏混淆の神だった。それが明治時代の神仏分離によって、多くは仏教色を廃し、祭神を天御中主神などに改めた。妙見神は、桓武平氏良文流を自称した下総国の豪族・千葉氏が篤く信仰していて、現・千葉県千葉市の「千葉神社」(2012年5月5日記事)を始めとして、千葉県内には妙見神社(妙見宮)が多い。当地は常陸国に属するが、国境の小貝川から然程離れていないことから、当神社もそうした影響を受けて成立したのではないかとされている。
蛇足:現在ではあまり想像できないが、江戸時代には当神社の南側に水戸街道の「若柴宿」があって栄え、当神社も近隣の信仰を集めていたようである。当地では、病気になったら、藁の人形を作って当神社の椎(シイ)の木の下に埋めてお祈りすると治るといわれていた。また、妙見神が虚空蔵菩薩と混同され、当地では、虚空蔵菩薩の眷属とされる鰻(ウナギ)を食べると目が潰れるなどとして、鰻を食べない風習があったという(一方で、同じ龍ケ崎市内でも、牛久沼畔が鰻丼の発祥地とされているのは皮肉なことである。)。
写真1:「星宮神社」境内入口、社号標(「宗教法人 星宮神社」)。社号標側面に「祭神 天之御中主神」とある。
写真2:鳥居
写真3:燈籠。江戸時代の地元出身力士・一力長五郎(1815~1859年)の奉献によるものとの説明板がある。前頭筆頭までだったが、大関に強く、「大物喰いの長五郎」と呼ばれたという。
写真4:拝殿
写真5:本殿
写真6:境内社「金毘羅大権現」
写真7:「駒止の石」
場所:茨城県龍ケ崎市若柴町683。茨城県道243号線(八代庄兵衛新田線)「若柴配水場入口」交差点から南西へ約450m。駐車スペース有り。
社伝によれば、延長2年(924年)、肥後国「八代神社」(現・熊本県八代市)から分霊を勧請して祀ったものとされる(誰が勧請したかは不明。なお、元慶4年(880年)創建という説もある。)。天慶4年(941年)、常陸大掾・平貞盛が拝殿を建立、寄進したという。境内に「駒止の石」があるが、これには次のような伝承がある。平貞盛(常陸平氏の祖・平国香の嫡男。平将門を討って従五位下に叙せられ、後に鎮守府将軍、陸奥守などを歴任した。)が当地を通りかかると、この石の前で馬が動かなくなった。見ると、そこに日頃信仰する「星野大明神」の祠があり、懇ろに参詣すると馬が再び歩き出したという。この石がどのようなものか、どの資料にも書かれていないが、参拝した際に偶々お会いした当神社の方に伺ったところによると、これは平国香愛用の手水石だったとのこと。もちろん真偽は不明だし、何故そのようなものがここにあるかは不思議だが、将門と国香らが戦ったとされる「藤代川合戦」(前項「伝 平国香供養塔」参照)に関係しているものかと思われる。
さて、当神社の現在の祭神は天御中主命であるが、近世までは妙見神だったと思われる(なお、「稲敷郡郷土史」(大正15年)では「祭神詳ならず」としている。)。上記「八代神社」も同様で、妙見神(妙見尊星王、妙見菩薩などともいう。)は北極星・北斗七星を神格化したものであって、神仏混淆の神だった。それが明治時代の神仏分離によって、多くは仏教色を廃し、祭神を天御中主神などに改めた。妙見神は、桓武平氏良文流を自称した下総国の豪族・千葉氏が篤く信仰していて、現・千葉県千葉市の「千葉神社」(2012年5月5日記事)を始めとして、千葉県内には妙見神社(妙見宮)が多い。当地は常陸国に属するが、国境の小貝川から然程離れていないことから、当神社もそうした影響を受けて成立したのではないかとされている。
蛇足:現在ではあまり想像できないが、江戸時代には当神社の南側に水戸街道の「若柴宿」があって栄え、当神社も近隣の信仰を集めていたようである。当地では、病気になったら、藁の人形を作って当神社の椎(シイ)の木の下に埋めてお祈りすると治るといわれていた。また、妙見神が虚空蔵菩薩と混同され、当地では、虚空蔵菩薩の眷属とされる鰻(ウナギ)を食べると目が潰れるなどとして、鰻を食べない風習があったという(一方で、同じ龍ケ崎市内でも、牛久沼畔が鰻丼の発祥地とされているのは皮肉なことである。)。
写真1:「星宮神社」境内入口、社号標(「宗教法人 星宮神社」)。社号標側面に「祭神 天之御中主神」とある。
写真2:鳥居
写真3:燈籠。江戸時代の地元出身力士・一力長五郎(1815~1859年)の奉献によるものとの説明板がある。前頭筆頭までだったが、大関に強く、「大物喰いの長五郎」と呼ばれたという。
写真4:拝殿
写真5:本殿
写真6:境内社「金毘羅大権現」
写真7:「駒止の石」