龍神様(りゅうじんさま)。
場所:(前項から続く。)菖蒲沢薬師古道の起点「菖蒲沢公民館」前から約450mで「菖蒲沢薬師堂」との分岐、そこから左へ(北西へ)約290m。
「菖蒲沢薬師堂」(前項)の(最初の)薬師如来には、「海から来た薬師」という伝説がある。全国各地に海や池から引き上げられた仏像という話は多いが、この薬師如来も鹿島郡汲上村(現・茨城県鉾田市汲上)の浜で、漁師の網に掛かったものとされる。その漁師の夢に薬師如来が現れ、「ここは東の端で、人々が集まるのには不便だ。もっと西の方の山に行きたい。」とのお告げがあった。そこで、漁師が仏像を背負い、西へ歩き出したところ、背中から「歩いていくのは大変だろうから、青龍大王の力を借りよう。」という声がして、急に体が軽くなったかと思うと、菖蒲沢村の裏山に立っていた。漁師が一休みしようと、「ヨイトコサ」と岩に腰掛けたところ、薬師如来も「なるほどヨイトコだ。朝日は当たるし、沢もある。」といって、そこで7日7晩、光を放った。その光に驚いた村人が集まり、堂を建てて祀った。そして、その手助けをした青龍大王が巨石に化したのが「龍神様」で、その後も水の神様として信仰されたという。因みに、筑波山麓不動峠に源がある小桜川は、現・石岡市仏生寺・小野越から東に流れ、現・茨城県道138号線(石岡つくば線)を越えた辺りで大きく向きを変え、北東へ向かう。そのため、かつては、小桜川が増水すると、屈曲点付近の菖蒲沢及び辻の集落で度々水害が発生したということから、水神を祀ったというのは、その水害を治めるためだったのかもしれない。
写真1:「馬櫪神(ばれきしん)」。馬の守護神というが、来歴不明の謎の神とされる。茨城県稲敷市の「大杉神社」の境内社「勝馬神社」が馬櫪神を祀るという(「大杉神社」(2022年6月4日記事の写真10~11)参照)。
写真2:岩に彫られた「氏神様」
写真3:「不動尊」。元は、種字の板碑があったようだ。
写真4:「天白稲荷神社(天白位稲荷大明神)」表参道鳥居。
写真5:同上、社殿。伝承では、享保8年(1723年)、旗本・小菅氏の氏神社として創祀。以後、菖蒲沢村の村社とされたが、明治8年に現・石岡市月岡の「香取神社」が周囲の村々を統合した村社になったため、菖蒲沢の氏神となったという。
写真6:「龍神様」の巨石と石祠
写真7:同上
写真8:同上
場所:(前項から続く。)菖蒲沢薬師古道の起点「菖蒲沢公民館」前から約450mで「菖蒲沢薬師堂」との分岐、そこから左へ(北西へ)約290m。
「菖蒲沢薬師堂」(前項)の(最初の)薬師如来には、「海から来た薬師」という伝説がある。全国各地に海や池から引き上げられた仏像という話は多いが、この薬師如来も鹿島郡汲上村(現・茨城県鉾田市汲上)の浜で、漁師の網に掛かったものとされる。その漁師の夢に薬師如来が現れ、「ここは東の端で、人々が集まるのには不便だ。もっと西の方の山に行きたい。」とのお告げがあった。そこで、漁師が仏像を背負い、西へ歩き出したところ、背中から「歩いていくのは大変だろうから、青龍大王の力を借りよう。」という声がして、急に体が軽くなったかと思うと、菖蒲沢村の裏山に立っていた。漁師が一休みしようと、「ヨイトコサ」と岩に腰掛けたところ、薬師如来も「なるほどヨイトコだ。朝日は当たるし、沢もある。」といって、そこで7日7晩、光を放った。その光に驚いた村人が集まり、堂を建てて祀った。そして、その手助けをした青龍大王が巨石に化したのが「龍神様」で、その後も水の神様として信仰されたという。因みに、筑波山麓不動峠に源がある小桜川は、現・石岡市仏生寺・小野越から東に流れ、現・茨城県道138号線(石岡つくば線)を越えた辺りで大きく向きを変え、北東へ向かう。そのため、かつては、小桜川が増水すると、屈曲点付近の菖蒲沢及び辻の集落で度々水害が発生したということから、水神を祀ったというのは、その水害を治めるためだったのかもしれない。
写真1:「馬櫪神(ばれきしん)」。馬の守護神というが、来歴不明の謎の神とされる。茨城県稲敷市の「大杉神社」の境内社「勝馬神社」が馬櫪神を祀るという(「大杉神社」(2022年6月4日記事の写真10~11)参照)。
写真2:岩に彫られた「氏神様」
写真3:「不動尊」。元は、種字の板碑があったようだ。
写真4:「天白稲荷神社(天白位稲荷大明神)」表参道鳥居。
写真5:同上、社殿。伝承では、享保8年(1723年)、旗本・小菅氏の氏神社として創祀。以後、菖蒲沢村の村社とされたが、明治8年に現・石岡市月岡の「香取神社」が周囲の村々を統合した村社になったため、菖蒲沢の氏神となったという。
写真6:「龍神様」の巨石と石祠
写真7:同上
写真8:同上