白鳥神社(しらとりじんじゃ)。
場所:茨城県石岡市小幡851。重複している県道42号線(笠間つくば線)と同150号線(月岡真壁線)の「小幡」交差点から西へ約900mで右折(北へ)して県道150号線を北へ約80m。「筑波四面薬師 薬王院」(前項参照)の西隣だが、直接つながる道はない。駐車場なし。
往古、日本武尊が東征の折、当地で功績があり、里人が仰慕して祀ったのが最初という。当地(小幡)は古代の新治郡大幡郷に属し、調(税としての布)として納められた絹織物の産地であった。当神社はその中央部に鎮祭され、「大幡明神」と尊称された。天正年間(1573~1592年)、佐竹義宣が小田氏春と合戦の折、戦勝祈願して大勝したことから、弓1張・矢20本を奉納した。兵火のため焼失するも、天正5年(1577年)、佐竹氏が再建し、田高3石2斗5升を寄進した。慶長年間、「薬王院」が別当の時、「五竜明神」と改称。元和4年(1618年)本社再建、享保3年(1718年)拝殿再建、天明2年(1782年)本社・拝殿再建。明治2年、現社名に改称し、明治15年に村社に列した。現在の祭神は日本武尊で、木花開耶姫命を配祀する。
写真1:「白鳥神社」鳥居。右側の小径の壁の向こうが「薬王院」。左側は県道150号線で、湯袋峠を越えて現・筑西市真壁町中心部に最短距離で至る。
写真2:同上、社号標
写真3:同上、社殿
場所:茨城県石岡市小幡851。重複している県道42号線(笠間つくば線)と同150号線(月岡真壁線)の「小幡」交差点から西へ約900mで右折(北へ)して県道150号線を北へ約80m。「筑波四面薬師 薬王院」(前項参照)の西隣だが、直接つながる道はない。駐車場なし。
往古、日本武尊が東征の折、当地で功績があり、里人が仰慕して祀ったのが最初という。当地(小幡)は古代の新治郡大幡郷に属し、調(税としての布)として納められた絹織物の産地であった。当神社はその中央部に鎮祭され、「大幡明神」と尊称された。天正年間(1573~1592年)、佐竹義宣が小田氏春と合戦の折、戦勝祈願して大勝したことから、弓1張・矢20本を奉納した。兵火のため焼失するも、天正5年(1577年)、佐竹氏が再建し、田高3石2斗5升を寄進した。慶長年間、「薬王院」が別当の時、「五竜明神」と改称。元和4年(1618年)本社再建、享保3年(1718年)拝殿再建、天明2年(1782年)本社・拝殿再建。明治2年、現社名に改称し、明治15年に村社に列した。現在の祭神は日本武尊で、木花開耶姫命を配祀する。
写真1:「白鳥神社」鳥居。右側の小径の壁の向こうが「薬王院」。左側は県道150号線で、湯袋峠を越えて現・筑西市真壁町中心部に最短距離で至る。
写真2:同上、社号標
写真3:同上、社殿