神が宿るところ

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駿河国の古代東海道(その2・小川駅)

2011-04-01 23:57:09 | 古道
古代東海道の、駿河国で最も西の駅家は「小川」駅となる。焼津市小川(こがわ)が遺称地で、益頭郡小河(何)郷に当たるとされる。牧之原台地上の「初倉」駅から東に下りてくると、現在ではすぐに広い大井川にぶつかるが、往古は、現在の黒石川と栃山川の間に大井川の主流が流れて、多くの枝川にわかれていたらしい。このため、①台地を下りてから北東に進んで大井川を渡り、そこから東に向かって現・黒石川の左岸の自然堤防上を進むルートと、②「初倉」駅から真っ直ぐ東に進み、現・栃山川に達する現・大島または上小杉付近で大井川を渡り、やや方向を北に変えて黒石小学校付近を目指すルートの2つが考えられているが、古代東海道の直線性を重視すれば、後者が自然のようである(金田章裕氏などの説)。
黒石小学校の北側の焼津市小川に「鈴宮」という小字があり、ここには駅鈴を祀った神社があったのではないかという説がある(現在は水田になっているが、以前には小祠があったという。)。そして、その先(北)は、三ヶ名(旧・豊田村)と西小川(旧・小川村)の境で、北東に向かう直線的な道が残っている(写真1)。発掘調査などが行われていないため、「小川」駅の具体的な場所は不明だが、条里地割に沿い、旧・村境にもなっていたことから、この道路が古代東海道であった可能性は高いと思われる。
発掘調査といえば、この近くに「小川城址」(道場田遺跡)がある(写真2)。「城」と言っても、中世のことだから、土塁を巡らせた館(屋形)というところだろう。この城の主は「法永長者」と呼ばれた長谷川政宣で、駿河今川氏に内紛が起こったとき、後に駿河今川氏第7代当主となった今川氏親(幼名・竜王丸。母は伊勢新九郎(北条早雲)の妹である北川殿。)を匿った人物である。また、「鬼平犯科帳」の主人公である鬼平こと長谷川平蔵宣以のご先祖様でもある。中世の小川は、「小川湊」として栄えたので、古代東海道の「小川駅」とは直接には結びつかないだろうが、やはり交通の要衝であったとはいえるだろう。
さて、三ヶ名と西小川の境を北東に直行する道は、条里の方向とも一致し、式内社「焼津神社」の少し西側を通過する。そして、朝比奈川と瀬戸川の合流点のすぐ下流で川を渡り、北向きにやや方向を変える条里地割に沿って、高草山山麓の石脇に到る。そして、ここから日本坂の峠越えとなる。なお、「小川」駅からは、小川の湊から舟で現・静岡市駿河区用宗辺りに向かうルートや、石脇から浜当目に向かい、大崩海岸を通るルート(大崩海岸が通れなくなったのは、焼津港が近代的に整備されて潮の流れが変わり、砂浜がなくなったかららしい。古い写真などをみると、「たけのこ岩」は砂浜に立っている。)もあったとされる。ただし、いずれも荒天になると使えないルートなので、日本坂峠越えが正式ルートだっただろうという。


「タクジローの日本全国お城めぐり」HPから(駿河 小川城)


写真1:西小川と三ヶ名の間の直線的な道路(焼津市西小川5ー29-14付近)。かなたに高草山が見える。


写真2:「小川城址」(道場田遺跡)
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